一緒に磨く

人間はいつの時代もあらゆる方法を用いてその人間の本性を磨いていくものです。あらゆる環境の中で、それぞれが懸命に生きてはお互いに切磋琢磨し、その精神や魂、心を磨いて往くものです。

磨くということは、人間そのものの本質に近づいていくことのようにも思うのです。

この磨くということにおいて、松下幸之助さんが54歳の時にPHPで語った話が遺っています。私はこの語りがとても気に入っていて、「一緒に磨く」ことの本質が入っているように思っています。

「人間には、自然からかぎりない繁栄、平和、幸福が与えられている。
それをたとえていうならばダイヤモンドみたいなものである。
ただの石をただ磨いてもダイヤモンドにはならない。
しかしそのダイヤモンドの原石でも磨かなければその美しい本質は現れてこない。
それと同じことで人間の優れた本質も磨くことなしには発揮されないわけである。
・・・
人間にはその本質として、繁栄、平和、幸福というものが原則的に与えられている。
その本質がだんだん出てくるだろう。
そうすると、みだりな闘争とか破壊とかそういうことが少なくなってくるだろう。
少なくなってくるだけ、一方で繁栄とか平和とか幸福とかが反比例して生まれてくると思う。

だから磨き上げてしまったら楽土ができる。
もっと磨き上げるまでに数千年、数万年、あるいはそれ以上かかるであろう。
しかしそういうことを信じてやることが大切だと思う。

それではだれが磨くのかというと、それはみんなで磨こう。
これは一人や二人で磨いてもなかなかうまくいかない。
みんなで寄って磨いていこうじゃないかというわけである。
そうすれば磨き方も、ある人はその磨き方よりこの磨き方のほうが早く磨けるという人もでてくるだろう。
つまり万人の智慧というか、いわゆる衆知を集めて磨こうではないかというのが行き方考え方なのである。」(松下幸之助発想の軌跡著者: PHP総合研究所より)

人間はダイヤモンドの原石であるといい、その原石も磨かなければ光らないといいます。その通りで、常に原石を磨き続けなければ悠久の歴史の中での地球上での自分たちの真の役割に気づけなくなるように私は思います。

人間はダイヤモンドの原石だからこそ、磨き続ける必要があるのです。そしてそれを誰かがやればいいのではなく、一緒に磨こうとするのが本来の人間に備わっている徳なのであろうと思うのです。

その徳が備わっているのが人間であるからこそ、その徳を磨いていくことで徳が光ってくるのです。

私たち日本人をはじめ、全ての人間の心の中には和があります。そしてその和の精神は、一緒に何かをする中で衆知を集めて顕現していくものです。左右東西前後の異なりを超越し、円満に一円観にありとあらゆるものを融合してさらに善いものへと転じていくのです。

それをどう耕し織りなし掘り起こすのかは、その人の「磨き」にかかっています。

自分が原石であることを忘れないように、常に磨き続けていきたいと思います。与えられているものに感謝して、素直に謙虚にありたいと思います。

 

  1. コメント

    誰かだけが原石ではないことを、貝磨きで体験した事は、大きな安心となっています。また、一緒に磨くからこそ、助け合い、分かち合うのだと感じました。自分という原石も磨く過程を皆で分かち合い、楽しんで行ければと思います。

  2. コメント

    磨き合うには、お互いが「ダイヤモンドの原石である」ということを確信していることが前提です。それは、ダイヤモンドの性質である「神性、仏性、良知、良心」をお互いの姿に、そして、自分自身のなかに見つけることができるかどうかにかかっているでしょう。また、ダイヤモンドはダイヤモンドでしか磨けません。一人では、自らのほんとうの輝きを発現することはできないのでしょう。

  3. コメント

    磨くことはこれまで身につけてきた刷り込みをとることでもあると感じました。これでいいと思ったらその先は探求しませんが、知らないことがまだまだあると思っていると新しいものに出逢えます。ゆっくり、じっくり、丁寧に時間がかかっても一つ一つを大事に味わっていきたいと思います。【●】

  4. コメント

    昨日、ある先生が仰っていました。人を育てるという仕事は、本当の結果はその子が大人にならないと分からない。あんないい子だったのに、いつの間にか引きこもってしまっていたり。それを思うとずっとイキイキと輝いていて欲しいと思う。そのためには根っこの部分「自分に負けない」や「逃げない」という力を伸ばしてあげて、沢山の成功体験をさせてあげたい。卒園児の中には悲しい事件を起こしてしまった子もいる。だから、園にいる間に、自分たちが今出来ることをしてあげたい。
    このは話を聴かせて頂き、園を巣立っても、いつもでも先生方は大きな愛を持って自分たちをみて下さっているのだと実感し、医者などの直接いのちに関わる仕事ではないけれど、もっと大きな使命があることを思いました。人を育てるという仕事の本質は「磨く」ということ。すぐに結果は出ないけれど、コーティングした力では大人になる過程でメッキが剥がれてしまうかもしれないから、本物の生きる力が輝くよう、丁寧に子ども達の自ら伸びよとする力を引き出してあげることが必要なのだと感じました。園という場所は、その「磨き」を大人と子どもが一緒に行える素晴らしい場所。自分もまたその中でご一緒させていただけることを嬉しく思います。

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