人は物事を対立で考えるときに、様々な問題が出てくるものです。そもそも一つであったものを二つに分け、それを対立させるのはお互いを認め合わないからです。本来、ニワトリが先かタマゴが先かというだけで、同質のものの先をどちらにしようかという話であることがほとんどです。
なぜそうなってしまうのかといえば、そこに対立思想があるからのように思います。自分とあなた、これとあれ、善か悪か、正しいか間違いかなど違いを分けてお互いに要求していけばその先には紛争や戦争が待っているかもしれません。
だからこそお互いに対話によって近づいていこうとするアプローチを世界中の様々な教育現場では試行錯誤されているのです。私たちの会社には一円対和というものがあり、二つ以上の分かれたものを一つに融合するというマネージメントを持っています。
本来、違うと思っているものも皆で持ち味を活かしあえば大和になるという思想と実践です。これは、お互いが違うからこそお互いを活かしあえば偉大な力になるということです。そのためには対立から対和へと舵を切ることと、その中でお互いが認め合うことで和合するという一円観を磨くことです。認めてもらおうとばかり思うのは自分を特別視するからですし、相手に自分を認めさせたいからです。
それぞれが違うというのは、それぞれに与えられてる才能や使命があるということです。言い換えれば「協力できる」「助け合える」「一緒にできる」ということです。お互いに一つの目的のためにその力を活かしあえばどの組織でも、衆智を集め、一家団欒の平和な社會が顕れてくるように思います。そしてこれが和合です。
この和合という考え方は、私たち日本を代表する文化の一つです。
対立し比較されまたは個性が認めてもらえずに心が傷ついている人たちはたくさんいます。その人たちが少しでも自分の持ち味に気づき、その個性を共に活かしあい認め合う世の中にしていくために、日々の実践を強く厚くしていきたいと思います。
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自分の事を振り返るとまだまだ分けている事に気付きます。それは言葉などではなく、責任感や実際に動くという事です。自分の事として考えてみても動かないから変わらないと言うことがあります。ただ、今社内で分けなくなったものもあります。スケジュールも皆で話し合う環境が助けてくれています。一つ一つ、分けない環境に変えて行きたいと思います。
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対話から対和へ、同じことをしていてもその深まり方に驚くばかりです。オープンに話すことや意見が出やすいような雰囲気を意識するも、和合という観点はまだまだと感じます。文化の一つだったはずのものが身に付いていないのは何だか情けなく感じますが、気付いたここから実践を積んでいきたいと思います。【●】
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「対立関係」にあるものは、対話した結果対立したのではなく、最初から対立姿勢で臨んでいる可能性があります。人間関係は、話せばわかるというよりは、理解しようとしてもう一歩心を近づけるかどうかによるのではないでしょうか。「ディベート」を繰り返しても心の距離が縮まらないのは、半円観で臨んでおり、自己防衛本能がその背景に働いているからでしょう。特に、優劣観に注意し、一円観を磨きたいと思います。
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昨日は雪の中で栃木へ車で向かう際、仲間からの真心からの気遣いがとても有難く感じました。これも日頃からの一円対話があってのものなのだと思うと、実践としての価値がどこにあるのかに気づきました。遣っているからいい、ではなく和が生まれているかどうかを物差しにしていきたいと思います。