自然に帰る

世界では、今、様々な難しい問題をみんなで解決するための教育が盛んにおこなわれているところもある。

人類の未来のことを真剣に憂慮するならば、人間がどうあるべきかということを問い続ける人たちが世界をいつも改善して持続可能なものにしていっているようにも思う。

戦争もそうだし、人間は自分の保身というものを集団で優先していけば本来のあるべきものを歪めていくこともできる。

例えば、それが一部の権力によって行われることもある。

中国の明代に、洪武帝という皇帝が教科書を改ざんし孟子の平等の思想だけを切り取り隠蔽し、その部分以外を教え込むというやり方をした。その際には、宦官の文官政治が蔓延し世の中が乱れ多くの優れた人物や思いやりのある人たちが弾劾されたという歴史もある。

一部の権力によって正しい教えを歪める、真理を改ざんするというのは人間をコントロールするということにおいてはその人にとっては都合がいいのでもあろうとも思う。

しかしそうしたことから、自ら恐怖を感じて現実から逃避し、ついに分限を超え、自分すらも住めなくなるような世界にして滅んでいるということを気づかないのだろうか。

支配者がエゴに支配されることほど愚かなことはない。

自然の掟があるのだから、自然にそれは元に帰るのであり、自然治癒の偉大さはそういう回復力にこそ備わっているのであろうとも思う。

今、どこからがもっとも考え直す必要があるかといえば何かを教え込もうとすることである。

そういうことをすることで深く考えない人を増産れば、自然治癒に備わっているより世界は変わろうとする力を活かすことができなくなる。

今は何より一人一人が考える時代、つまり対話の時代であり、対話をすることで一人一人が深まっていくことで本質に気づき、自然治癒を促すような時機である。

対話を繰り返すということは、自然に帰るということである。

これからも子どもたちに対話を通して学ぶことを伝えていきたい。

  1. コメント

    運動会を見て指示通りに動く姿を見て大人が喜んでいるように感じました。何のための運動会を考えれば、大人が前に出るのではなく一歩下がったところからサポートし、子どもたちの作るものが行われようなに感じます。子どもたちが作り上げる運動会であれば、我が子でなくても応援するように思います。毎年定番のものではなく、先生と子どもたちが話し合いどのようなものを作り上げるのが、これから形のように思います。もともと何のためなのかを学び直すことは、一時だけではなく続けることであり、その姿を大人が示すのものだと思います。今起きている事象が当たり前なのではなく、見方を変え自分自身で考えることが大切だと感じています。

  2. コメント

    人にはもともと考える力も、行動に移す力もあるのだと思います。しかし何らかの刷り込みでその力が閉ざされてしまうというのが今も起きている現状ではないかと思います。人が人をコントロールしたり、一方的な考えや力で支配して絶対にうまくいかない事は過去を見ても、今の自分自身を振り返っても気づく事が出きます。全ての人にもともとある力がるという事が大事にされる世の中を皆で作っていかなければと思います。又その中でブログに書かれている対話が大事だと気づかされました。目の前にいる相手と話すことが対話ではなく相手の立場や気持ちになり考えて話し合うということをこれからも大事にしたいと思います。

  3. コメント

    自然との対話、自分自身の真心との対話、人との触れ合い。
    そこにエゴが入ると本来の対話とはならないのだと感じます。
    真理や自然というものを考えたとき、自分の娘の方がそれが
    見えているのだと感じることが多々あります。
    果たして、娘に何かを聞かれたときに、それを知識として
    「教えるのか」それとも、自然の摂理と共に体験し、経験できる環境を
    用意するのかとでは、私も娘も対話の本質が違ってくるように思います。
    知識ではなく、やったことが無いことは、自分も学びとして一緒に経験していける
    そういうスタンスで関わって行きたいと思います。

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