先日、地元だけではなく全国で名医と慕われる医師に身体についての話をお伺いすることができました。その方は、知識で身体を学ぶのではなく身体から身体を学ぶというように、身体の反応をよく観察しその反応から原因の根を探し出すというような感じです。
先生の言い方では、雨漏りがあればどこが雨漏りなのかを探せばいいという感じです。身体のことを会社経営をたとえに説明してくださり、経営改善と体質改善が同じであること、体温を如何に下げないで血流を整えること、またもっとも集まっている場所(内臓)のところの環境を温かくすることなどを教えていただきました。
特に目から鱗が落ちる話は、身体の痛みが回復そのものであるたとえです。今の医療はすぐにどこかが痛いや何かのストレスがあるとすぐに薬を出していますが、それでは対処療法にしかならないという話です。
膝を曲げれば足が痺れてきます、それは血流が滞ってきているからです。そして膝を伸ばせば痺れがとれて血流が順調にめぐりはじめます。その時、足はジンジンしてきます。そのジンジン痛いというのは、血流が流れはじめて回復しているということです。他にも熱が出たり、怪我したときの苦しみは痛みは、すべて治癒している証拠であると話がありました。
今では病院に行くときは薬をもらいにいっているようなものですが、その都度、苦しみや痛みを悪者のようにして薬を処方していたら直るものも治りません。本来、治癒の本質は苦しみや痛みを伴うように私も思います。
人間が成長し発達するとき、そこに大きなストレスがかかります。あらゆる感情や妄想が頭をもたげてきます、しかしそのもたげたストレスをどのように善いものに転換できるかで私たちは治癒を働かせていくように思います。
ストレスといえばすぐに良い悪いと区別しては、コントロール不能に感情に呑まれていますが、本来は善いも悪いもなく、そのものを生長の糧にしていけばいいのでしょう。
しかし今の社会の在り方がストレス社会になっていますから、気が付けば刷り込まれてありとあらゆる病気を引き起こしているように思います。それは知識が氾濫しルールばかりが増えて、速度超過、多忙を極めた不安と心配で緊張して、人とのつながりが薄く金権主義的な世の中になっているからです。言い換えれば、不自然な世の中にいるからストレスが悪いものになっているのです。
どのようにストレスと向き合っていけばいいか、そこには考えずに行動したり、悩む前に実践をしたり、優柔不断になる前に覚悟を決めたりといった方法でストレスを善いものへと転じていくしかありません。
そもそも上手くいかないから上手くなりたいと願うものですし、できないからできるようになりたいと思います。さらに優しくなれないから優しくなりたいと思い、人の役に立てないから役に立ちたいと願うのです。すべては表裏一体に自分の心の赴く方を示しているのが感情です。
その感情に素直になるためにも、今此処、一瞬一瞬を大事に味わいつつ内省し人事を盡して信じたことを天にお任せしていくことしかないように思えます。そしてそれがストレスを福に転じるコツかもしれません。
転じるというのは、めぐりを善くすることです。
川が海に流れてそれが雲になり雨になって川になる。変化に柔軟であることが、自然であり、その自然をお手本に身体を労わることが自然治癒を学ぶ基本なのかもしれません。
自分自身のからだから自然の智慧を学び直していきたいと思います。
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肉体疲労は休息を取れば回復していきますが、心はそうもいきません。真心を遣うというのも、何となくイメージは持っていて、どことなく誰かに喜んで頂いてもそこに本当に自分自身が込めた思いや祈りがなければ偽りなのだと感じています。計算は心を遣わずとも出来ますが、勇気を伴う行動にこそ心がついてくるような感覚を得ました。年を重ねるのは新たな節目でもあります。また、ここから新たな挑戦を積んでいきたいと思います。【●】
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人体は「小宇宙」とも呼ばれます。その中で、骨や臓器そして血液を創り出し、心臓は一生休むことなく働き続け、血は全身をくまなく巡り、食べ物を消化吸収し、不要物を処理し、侵入してきた異物やウィルスに対処し、連携して生命を守るように自己完結しています。しかも、心と不二一体です。考え過ぎも、悩みすぎも、酷使も、過不足も、すべて不自然であり、その警告が痛みや病気なのでしょう。自分の不自然さを隠せない仕組みとして、学ばなければいけないのかもしれません。
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「万病一元、血液の汚れ」と言いますが、自分の心に至っては、何が汚し、何が流れを悪くするのかと考えると、思い当たる節が幾つもみえてきます。治癒力を高め、汚れを払い、流れを善くすれば、自然と体があたたまるように、素直に挑み続ける中で熱意もまた高まるように感じます。表面上のあたたかさではなく、内側から発せられる本物の力を大切にしていきたいと思います。
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自分を見てみると、心の痛みを避けようとすれば、人との関わりについて心の壁を作ります。また、痛くない理由を探し、心を働かせるのを辞めて循環を止めます。そして、その違和感に耐えきれずに体調が崩れます。この繰り返しの中で自分なりに得たものは、心の痛みは、痛みの対象に近づき、自他なく話し合うことや、一緒に進めること、近付こうと覚悟するだけで変わってくると感じています。まだまだ、受け取る受け取らないを無意識に選んでいますが、もっと循環のスピードをあげて行きたいと思います。