ゼロベース~体内時計~

今の世の中のことを知ろうとするとき一つは知識を増やすことによって得られ、もう一つは知覚を澄ますことで得られるように思います。そのどちらも自分という刷り込みを破るためです。今の私たちは自然の叡智に触れて自然の叡智を可視化して自分たちのものにするために知識を得ましたが、同時に自然の叡智の切り取った一部しか視なくなったとも言えます。

様々な叡智を可視化し分けてしまうことで分かれてしまったのは叡智そのものの自然から離れた人間の方かもしれません。そもそも分けてしまっているのですから、一度全ての知識を御破算にして無分別智のところ、つまりゼロベースにしてみないとこの世の基本ともいえる自然を丸ごと理解することはできないように思います。

このゼロベースというのは、例えれば動物の体内時計で自然を理解するのに似ているように思います。ニワトリや猫、犬、その他すべての動物たちは自分たちの体内に時間を持っています。朝になれば朝を知り、春になれば春を知る、新しい仲間も、古い仲間も、生死のめぐりでさえ、体内時計に従います。その彼らの時間は、まるで宇宙のように悠久と矛盾が絶妙に調和して無のようです。

よくよく観察していると、彼らには時間もなく今があるだけです。この今という時間の中には、妄想もなくそのままの宇宙があるように思います。そういう流れて流れない時間の中で、永遠を感じることができるからこそ、その魂をいつも全うすることができるように思います。

魂への刷り込みは、この世の美しさも奪い、この世の真心も穢すように思います。私たちは新しいものばかりを詰め込みますが、本来の古代からの古いものも同時に詰め込めばいいものを古いものは価値のないもののように切り捨てていきます。ここに人間文明の深い問題があるような気がしてなりません。

魂は温故知新することで、あの宇宙の星々のようにいつまでも光り輝くように思います。

英国の詩人、ウィリアムブレイクの「無知の告知」の冒頭に有名な詩があります。

「To see a World in a Grain of Sand  一粒の砂に世界を見、
And a Heaven in a wild Flower  一輪の野の花に天国を見る
Hold Infinity in the palm of your hand  手のひらに無限をつかみ、
And Eternity in an hour  一瞬のうちに永遠をとらえる 」

私の意訳ですが、一粒の砂は土の姿であり、一輪の野生の花は自然のいのちです。その手には悠久が顕れ、時を遡り時は超越されるという意味なのかもしれません。

ゼロベースで感じるご縁とつながりの中で、魂は存在するのかもしれません。詩には不思議な力がありますが、その詩を学ぶとき、詩の中で伝えようとする真実が観えてきます。

詩こそ体内時計のゼロベースで詠う自然の声色なのかもしれません。あの動物たちや植物たち、虫や魚、あらゆる自然界の歌声に詩を感じます。詩を学び、自らゼロベースでいることから自然を取り戻していきたいと思います。

 

  1. コメント

    ヨットも競技となると、自然から離れて行く事を感じます。普段乗ると、如何に自然と一体に近づけるかと心をオープンにし、自分とも自然とも対話しながら、魂そのものの存在で舵を握れるようにという事を目的に乗りますが、競技となると
    急に相手を意識したり戦略を考えたりとしていく中で、意識も会話も変わってしまいます。まだまだ自分には人間側の意識からみる目線が強いように感じます。地球から見た目線、魂から見た目線と、自分以外の目線を意識してみたいと思います。

  2. コメント

    冬の寒さを感じたことで、だんだんと暖かくなってきることに気付きます。ですが、もっと敏感に感じ取っているのは自然のようで梅咲く姿を見て、季節が移っていくのを知りました。同じ時間を過ごしていると思っても、決してそんなことはなく謙虚に学ぶ姿に感銘を受けます。詩や句は詠めませんが、その美しい世界観を感じられる自分自身の心の在りようは大事にしていきたいと思います。【●】

  3. コメント

    知識も経験も、次の行動の先入観になってしまいます。そこに、損得や得手不得手、好き嫌いが顔を出すと、素直にその事実に反応することができなくなります。また、保身が働くと、先を読もうとし、自分の仮説、自分の予測、自分の都合に振り回されることにもなります。いったい何に基づいて判断しているのか?!そして、それがいちばん素直な判断であるのか?!もっともらしい考え方で、自分を欺かないように注意したいと思います。

  4. コメント

    週末に子どもを連れて山間まで行き自然を体感してきましたが、そもそもそこまで行かなければ自然が感じられないと思う意識自体が刷り込みのように思います。すぐに分かった気になりがちですが、子どものようにもっと身近なものから多くを感じとり学んでいきたいと思います。

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