昨日、サミエル・ウルマンについて深める機会がありました。私が20歳の前半のときに詩集の「青春」にめぐり会い、大きな勇気をもらったことを思い出しました。松下幸之助氏の著書の中で自分の座右の銘として紹介されていたその時の詩の印象から青春の真価を再確認したことを覚えています。
もともとこのサミエルウルマンは、ユダヤ人でアメリカで活躍した実業家です。その当時、社会的弱者でもあった孤児、女性、黒人、労働者の救済運動に生涯を捧げた方だったそうです。この詩は、サミエルウルマンが80歳の誕生日に自費出版した詩集の中にあったものです。
日本でこの詩が翻訳され広がったきっかけは、アメリカの連合国司令官だったマッカーサー氏が座右の銘にしていた詩で、執務室に掲げられ日々に内省していたものを日本フェルト工業統制組合専務理事の岡田義夫氏が感動してそれが友人ずてに伝わり松下幸之助さんが紹介して今に至るようです。社会的閉塞感の中で、心が病んでいる人たちがたくさんいる今の時代だからこそ、もう一度この詩の必要性を感じました。ちょうど、この詩が広がったときも終戦後の暗くつらい時代でした。
「青春~YOUTH~」
「青春とは人生の一時期のことではなく心のあり方のことだ。
若くあるためには、創造力・強い意志・情熱・勇気が必要であり、
安易に就こうとする心を叱咤する冒険への希求がなければならない。
人間は年齢を重ねた時老いるのではない。
理想をなくした時老いるのである。
歳月は人間の皮膚に皺を刻むが情熱の消失は心に皺を作る。
悩みや疑い・不安や恐怖・失望、これらのものこそ若さを消滅させ、
雲ひとつない空のような心をだいなしにしてしまう元凶である。
六十歳になろうと十六歳であろうと人間は、驚きへの憧憬
夜空に輝く星座の煌きにも似た事象や思想に対する敬愛
何かに挑戦する心
子どものような探究心
人生の喜びとそれに対する興味を変わらず胸に抱くことができる。
人間は信念とともに若くあり、疑念とともに老いる。
自信とともに若くあり、恐怖とともに老いる。
希望ある限り人間は若く、失望とともに老いるのである。
自然や神仏や他者から、
美しさや喜び勇気や力などを感じ取ることができる限り、
その人は若いのだ。
感性を失い、心が皮肉に被われ、嘆きや悲しみに閉ざされる時、
人間は真に老いるのである。
そのような人は神のあわれみを乞うしかない。」
希望とは、心の持ち方を変えることです。そして心の持ち方を常に変えることができる人は、人生において一生涯好奇心を捨てることはありません。最初は光輝く子ども心も、社會の中で次第に曇りそのうち光らなくなっていくものです。それを磨き続けていくことで、光り輝く心を取り戻すことができる。
それを私は「希望」と呼び、「青春」と定義しています。
人生において絶望とは、生き方を見つめる最大の転機です。その転機に関われることこそ教育の醍醐味ではないかと改めて実感しました。これから、新しい道に同行しますが面白くワクワクするご縁をいただけたことに感謝しています。
私もその一人として絶学を継ぎ、心の世界を創造し青春を謳歌しつつ希望の詩を仲間と一緒に唱和していきたいと思います。
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母の最近の希望は、孫の成長と我が子の成長だと昨晩聞きました。自分が育てた3人の子ども達と、その孫達を心配し続けマメに寄り添う姿に感謝と尊敬の念を抱きます。年末の一時は絶望の縁にいながらも、こうして輝きがみなぎり、以前よりも自分のやりたい事を話す母を見て、自分もまた親に希望を与えられる人間になるべく成長して行きたいと思います。
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若い頃に、このサミエル・ウルマンの「青春の詩」がブームになった時期があり、何度も目にしました。「年を重ねただけで人は老いない。理想をなくした時老いるのである」「人は信念とともに若く、疑惑とともに老いる」などの表現が印象的ではありましたが、当時はまだ若かったこともあり、正直なところピンとは来ていなかったように思います。いま、改めて読み直すと、その全文が身に沁みます。「希望」とともに生き、「希望」を与え続けられる存在となり、そして、「希望そのもの」でありたいと強く願っています。
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自分だけでなく周囲にも希望を与えているのを見ると、これほど心強いことはありません。応援をしているようで実は一番応援されているのを感じると、励ましが返ってくるのを感じます。励まし励まされるその一員であり続けたいと思います。【○】
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「若さ」にも二面があるのだと感じました。一つには「未熟」であり日々「成熟」に向かわせる必要があるもの、そしてもう一つは「純粋」であり日々「濁り」を取り払い続ける必要があるもの。自然の流れでは未熟は成熟へ、純粋は濁りへと無意識に進むものだと思えば、何よりも気をつけなければならないのは後者の方なのだと感じます。如何にして生まれ持っていた輝きを保つことが出来るか、取り戻すことが出来るか?子どもや子ども心を失っていない大人の姿を鑑にして、日々積まれる濁りを取り払いたいと思います。