一期一会の糸

日々は様々な出来事が滝のように流れていきますが、人の一生は誰にせよ当たり前ではないことに包まれています。当たり前ではないことを言い換えればそれを「奇跡」と呼びます。

人の運命は人それぞれで異なり、霊妙数奇な組み合わせによってご縁が彩られます。あの時、あの一瞬で自分が変わったという体験が今の自分に出会わせています。

そう考えてみると、どれだけ必死に今を大切に生き切るかというのが当たり前ではない奇跡を味わえるということになるのです。

奇跡とはラテン語の古語によれば「驚き」のことを指します。驚きとは人智を超えた何か偉大な力が働いているということです。この驚いた出来事に遭遇する、その奇跡がミラクルという言葉になっていきます。

それに対して日本では御蔭様や有難い、勿体ないという言霊があります。これもまた奇跡に出会うからこそ顕現する言葉です。

人間はなんでも自分の思い通りにしていくことに執着する人や、自分の野心や願望ばかりに囚われていると、足元にある本当の倖せや、他人様から頂戴した思いやりや真心に気づかなくなるものです。そういうときは驚く心や感謝の心を忘れてしまっているかもしれません。

人は自分勝手で生きているのではなく自分が全体に活かされているという一期一会の実感は、当たり前ではないという奇跡の今を歩んでいく中でこそはじめて磨かれていくように思います。

出会いで人格を高めるということは、全体に活かされていることをいつも学び気づき直すということでしょう。

数奇な運命を生きるわたしと、数奇な運命をいただくわたし。
この「驚き」と「感謝」こそが一期一会の糸を結びます。

悠久のめぐりのなかで出会う自己との内省と対話こそ生活の基本です。

一期一会は私の自戒ですが、時は誰にせよ等しく過ぎ去っていきます。いちいち小我に呑まれてできそうにもないことに妄想を走らせず、自分の野望や願望に固執せず、二度とない今に素直心を定めて、訪れ来たものを選ばずに一期一会の糸を紡いでいきたいと思います。

  1. コメント

    毎日の内省のお陰で日々が有難い事なのだと気付く事が出来ますが、やったりやらなかったりでは、中々視野は変わらないのだと感じます。
    毎日やるから良いのだという事の意味を最近随分と実感しているように感じます。
    これからブログという新しい習慣の中でもまた新たな出会いが待っていることを思うとやはり出てくる気持ちは有難いという気持ちです。
    毎日の習慣と共に一期一会を味わいたいと思います。

  2. コメント

    心臓が動き続けてくれていることに始まり、この肉体は奇跡の塊です。また、肉体的健康だけでなく、精神的な安定も、奇蹟の連続と多くの人の奇蹟の集積でのお蔭で成り立っていると言えます。多くの縁者の思いやりの集積のなかに、今日の一日が成り立ち、多くの関係者の許しの集積のなかに、今日の一日が支えられています。毎日、見え、聞こえ、話せ、思え、歩ける。笑え、楽しめ、夢中になれる。「動いている」のではなく「生きている」といういのちの奇蹟を味わうことができないといけないと改めて感じます。

  3. コメント

    野心や願望に囚われることもそうですが、慣れというものにそもそもの「驚き」や「感謝」を忘れさせる力があることを実感します。年に一度しか咲かない桜を見ても、その有難さをどれだけ感じられているかと思うと、常に在ると感じてしまっているものに対しては余ほど用心しないと、その奇跡に気づけないようです。慣れてしまう頭ではなく、心で内省していきたいと思います。

  4. コメント

    奇跡と思うか当たり前と思えるか、捉え方次第なのかもしれませんが随分人生が変わるように思います。信じていたり、有り難さを感じる時奇跡が起こると思うと、日々の出来事も決して当たり前ではないのだと感じます。同じ一日を過ごし過ぎていくのなら、楽しい方がやはりワクワクします。同じない一日を大事にしたいと思います。【●】

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