無事に今年の分の高菜を収穫することができました。昨年よりも見た目もよく中身もしっかりした高菜にめぐりを繰り返す中で育つ逞しさを実感します。
ふり返ってみると、めぐりを繰り返すことで生命は強くなるように思います。それを進化と呼ぶのかもしれません。一日一日をめぐり、一年一年をめぐり、百年をめぐり、千年をめぐり、万年をめぐる。生命はずっとめぐりを通して今の生命になってきたのです。
昨年よりも今年がよくできたのは、ひとつのめぐりをこの場所で一緒に越えた証なのではないかと感じるのです。その証拠に、昨年よりもより手に懐いてくる感じや、そのものが今どんな状態なのかを身近に感じるのです。
御互いに必要と仕合い共生関係を結ぶ中で、私たちはお互いに強くなっていきます。進化発展し合うのは、お互いの心の通じ合いに由るのではないかと私には実感するのです。
山川草木、鳥獣虫菌にいたるすべてのものには心があります。
その心を通じ合わせていくことで、はじめて互いの存在を認め合い助け合い見守り合う関係を結べるのです。自然から離れるのではなく、自然に近づいていくことで私たちはいのちを食べ食べられるという信頼関係を結べます。
この地球の中で生きているからこそ、その地球の土の上で地球一体になって仲良く暮らしてきたのでしょう。震災からはじまった自然農の実践、そしてご縁からはじまった高菜漬けですが思い返せばこのめぐりから沢山の学びをいただいています。
つながりを大切に、時間をかけて手間暇と手塩にかける有難さを忘れないように実践を高めてくれる菜、これが高菜だと定め、精進していきたいと思います。
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不思議なもので高菜を漬けられていることに違和感を感じなくなってきています。贈るたびに多くの方から感謝の言葉を頂き、こちらまで嬉しくなってしまいます。自然農も同じ時期に同じものを見ても芽を出し伸びるスピードの違いを感じます。今年は小麦が背を伸ばすとなりに蓼藍を蒔きました。2週間程経ちましたが、まだ芽は出ていません。あいの育ちを見守っていきたいと思います。【○】
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私の場合は「自然農」ではありませんが、何を育てても、いつも「今年の出来具合」という感動を味わっています。その実りには、「土」の豊かさと「太陽や雨の恵み」それに「それぞれの野菜が持つ固有の逞しさ」をいつも感じています。また、何年もつくっていると、だんだん「余計な世話」が減り、必要なタイミングがわかってきて、心が通じ合うのを感じます。ただ、どうしても片手間になってタイミングを逸することも多く、独り育とうとする姿を見ると、育てる責任者として、ほんとうに申し訳なく思います。
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人間も意識次第では日々に生まれ変われるのだと思うと、いのちのめぐりは自分の中にもあるのだと感じます。どのような繋がりのなかでそのめぐりを迎えることが出来ているのか、昨年の花見からのこの一年にどのような意味があったのかを噛み締めたいと思います。
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週末の夜、花見で余ったスーパーの出来合いのキュウリの漬け物と、我が家のぬか漬けが食卓に並びました。
花見の時には気付きませんでしたが、明らかに別物で薬品で漬けた臭さやえぐ味を夫婦で感じ、子ども達はぬか漬けにしか手を出さない姿を見ると、子ども達と糠との関係を感じます。
喜んでかき混ぜ、糠を通して少しずつですが食べられる野菜も増えてきているのも、糠のお蔭です。目の前にある本物と一緒に暮らし、学んで行きたいと思います。