競争原理の中の教育の刷り込みには、利己的なものがあるように思います。この利己的な教え方によって刷り込まれると、すぐに自他に厳しく当たってしまい甘やかすことを過度に嫌うようになるものです。
例えば、先生は子どもに何でも自分一人でできることを目的に教え込みます。自分一人でできなければすぐに叱られ、こんなこともできないのかと何度も何度も教え込まれます。先日もある子どもが、周りの子どもができないから手伝っていたら先生から自分のことをやりなさいと叱られたと言います。そしてできない子には自分でやりなさいと叱ったそうです。
自分でできないから助けていたらそれではこの子がダメになると言います。結局、大人になってみて組織を見て観ると同じような現場ばかりに出くわします。できないから助けている人と、できないのはその人のせいだと自分でやれとツケ放す人がいます。
もしもチームで仕事をする場合はツケ放しても効果はあまりありません。それよりも助けてあげた方がお互いの結束が強くなり、信じる力も高まり信頼関係が深まっていきます。できない人をみては教えてあとは厳しくツケ放している人は、結局は一人で仕事を持って誰にも渡せず孤独になっていたりしますがそれはそれまで受けてきた教育の刷り込みではないかと感じるのです。
本来、人は教えるよりも助けてあげた方ができるようになります。最初はみんな誰もができないからこそ助けてもらい、安心した中でいろんなことを試すようになります。最初から頭ごなしにこんなこともできないのかとツケ放し、何回も言っただろうと言葉で教え、さらにはもう自分でするからしなくていいと言ってしまえば元も子もありません。そうなれば全部一人でやらないといけないですがそんなことは所詮無理です。それは「教え込むことに問題がある」と自分の刷り込みに気付くしかないように思うのです。
人は競争原理の中で、なんでも一人でできるようになるように教え込まれるからそのように自他に厳しすぎて孤独になって完璧を目指すようになるのかもしれません。人はみんな不完全ですから、できないところはお互いに助け合いフォローする方が和合し協力し楽しく倖せに人間らしく生きていけるように思います。
自分が受けてきた教育をそれが世間の常識だと他人に押し付ける前に、自分はどうありたいか、本当はどうありたいかと自反慎独し周囲のために思いやりや真心でありたいと願えばその刷り込みも実践を積み重ねることで取り払われるようにも思います。
人はやられてきたことをその時は辛く嫌だと思っていても、それを我慢して仕方ないと肯定してしまえば知らず知らずに自分もまた他人にそのまま同じことをやってしまいますから、自分の中で一つ一つ内省をして振り返り改善に転じていくしかありません。
教える人は助けてもらっていないという人が多いですが、真実は今まで自分の得てきたもののすべては”他人様から助けていただいた御蔭様で得た力”ですから、それをどのように御恩返しをして活かすかはその人の決めた生き方次第です。
きっと教えようから助けように変われば、もっと可能性は広がり自他を活かせるように思います。
その人の性格や人格だと裁くよりも、刷り込みがありますよとアドバイスし、自分がモデルになる実践をみせていけるようにさらに感謝を土台にして精進していきたいと思います。
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「何でも一人でできるようになる」ことを優先する価値観のなかでは、「助けてもらうこと」「手伝ってもらうこと」に引け目を感じることがあります。この感覚自体が、できない人を追い込むことになります。「助けてもらう」ときに、「スミマセン」ではなく、素直に「ありがとう」と言えるようでありたいと思います。
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「子どもに憧れる会社」の定義をこれまでそのまま捉えていましたが、実はそうではないのだと最近思うところがありました。身近な存在から、あんな風になりたいなと尊敬されるようになることがその一歩なのだと感じます。それを考えると、イキイキしているか、楽しそうか、優しいか、理屈抜きにそういったところに惹かれるように思います。楽しいときは一緒に体験している時、教えることなど何もない、そう教わったことを体現していきたいと思います。【○】
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何でも自分でできるようになることが自立ではなく、出来ないから手伝ってと言えるようになることが自立だと以前、教えて頂きました。子ども達に限らず、大人でも同じことなのだと思います。この自立に対する刷り込みは、自分の中にもあることを発言や行動を振り返る中で気付きます。自分の意識を変えて、なんでも自分でできるようにではなく、何か環境で補ったり、仲間と一緒に長所を生かし合ったりできるような文化を創ったりと、環境や文化と言った磨きあげて行けるものを作っていきたいと思います。
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例え出張中で会うことがなく、顔を合わせることをしていなくても、記録された仲間の言葉を読むだけでもハッと気づかされるのは、日頃からその姿を見せて下さっているからなのだと感じます。伝わり心に残るのは、言葉ではなく相手を思いやる真心なのだということを改めて実感しました。「助ける」という言葉も、文字通り受け取っては認識を誤るように思います。何が本当の助けなのか、今いただいているものへの感謝の気持ちから、それを掴んでいきたいと思います。