人間に限らず、全ての生き物には何かしらの長所があります。生命というものはそれぞれに自分の得意を伸ばして生き延びてきたとも言えます。自分の得意分野を伸ばしていけばそれが自分が生きていく上での最良の戦略となるのです。
しかし同時に良いだけかといえば、そこには不得意も発生します。その不得意が出ることを気にしていたら何かをするたびに気になって得意を伸ばすことができなくなります。それに自分は得意のそれしかないと覚悟を決めている人であれば諦めもつくのでしょうが他にも得意がいくつもあると思っているから色々と不得意が気になるのでしょう。
老子に「その長ずる所を尊び、その短なる所を忘る。」があります。
この不得意であることを忘れてしまうという言葉はとても意味があるように思います。また、その得意であることを尊ぶということにも重要な観点があるように思います。
自分が天から与えていただいた徳はこれであったとそれをどれだけ自分が尊重しているか、そしてそれが何よりも尊いからこそ他のことを忘れることができるか。そこに本来の強みを活かし自分を役立てる工夫があるように思います。
何でも得意になっているうちに得意がなくなったり、不得意をなくそうと努力しているうちに得意がなくなったでは本末転倒です。得意を見極めるためには、周りの得意を観続ける実践が必要です。そして同時に周りの長所を尊ぶ実力も必要のように思います。
老子の「足るを知る」も同じく、ないものねだりはやめてあるものを如何に活かすかが徳を伸ばし自分を役立てる真髄なのかもしれません。自分の都合が入れば入るほどに短所を視たり、悪いところに見えたりしていきますが本来のあるがままのそれぞれの徳性を重んじていけるような自然体な内観力を磨いていきたいと思います。
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「長所」は、役に立ってこその長所です。生かされない長所は長所ではありません。また、決して、自分が勝手に自由にしていいものではなく、宝の持ち腐れは許されません。「その長ずるところを尊ぶ」というのは、長所の重要性、有用性といった価値を認め、感謝して受け取り、最高の自己を発揮するよう努力するということではないでしょうか。「自分の長所を生かす」ためには、いつでも使っていいただけるよう鍛えておく、磨いておくということが必要であると感じます。「自分の都合」ではなく、「その長所の持つ役割優先」で生かしていきたいものです。
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履歴書等に長所・短所を書く時、短所は欠点のような印象を持っていました。そしてどちらも周りから思われていそうなことを書いたり、参考書などを映し書きした記憶があります。自分が思っている長所が周りの人から見たら本当はどうなのか、もっと別のところにあるかもしれません。そう思うと、老子の言葉から自分にはどんな長所、短所があるかと思い浮かべましたが、組織としてどうだろうと考えるとまた変わってくるように思います。善くすることを考え動いていきたいと思います。【●】
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一番身近な自分の子どもの得意・長所すら本当には把握できていないのかもしれないと思うと、それをもっとよく観ることが出来る眼差しを育てる必要があることを感じます。焦らずじっくりと取り組んでいきたいと思います。ありがとうございます。
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昨日、保育園のお父さん達と飲み交わす中で、お父さん達が自分達の園の事を「理念の保育園」と表現していました。近くの別の園を「建物・ハードの保育園」や「保護者サービスの保育園」など、色々と園の長所を表現しているのを見て、さすがっ!見ているっ!と感じました。そして、その長所が伝わっているからこそ、保護者はそれを一番に求め、他はあきらめるのだと感じました。また、自分自身の長所は自分では分からないことが多いですが、人生を生きていく中で、
やはり友人や家族、仲間から教えてもらっているように感じます。一円対話の長所を頂くときも、「そんな立派なものではないんです」という思いもありながらも、期待に応えたい、まなざしにこたえたいという思いが湧き上がってきます。周りの言葉を信じ、やりきることを大切にしていきたいと思います。