自然体で生きていく中で私たちが学ぶものの中に生きる智慧というものがある。
様々な体験を通じて、自分なりに自然とはこうであったかと悟る時そこに自然の智慧があるのを発見していくことができる。
その法則とも言うべきものを学び、一つ一つを自分の中に修めていく中で自然と一体になった融通無碍の自分を楽しむことができるようになる。
色々な人がいる中で、その法則を学ぼうとする人と知識ばかりをいつまでも追っている人もいる。知ることは大切なことで、知ることで理解しそれを社会で活かすことができるのだろうけれど行うことはもっと大事なことで行うことではじめて知ることが活きるのである。
今の社会は知っている人が偉くなるかのような錯覚を持っていることが多い。
学校でも知ることばかりを先に教え込み、詰め込むから知るということを沢山持てばエリートにでもなるかのように思い違いをしてしまう恐れもある。行う方に力を入れていけば自然に知識を得ようとするものであり、その成果として智慧まで昇華していくこともできるのであると私は思う。
この行うということは、自然の営みなのである。
自然は行うことで営み、その中に安心した繋がりで自らを学んでいるのである。
わたしは小さな頃から、山野を駆け巡り、河川では泳ぎ廻り、鳥や虫を遊び仲間にして様々な自然の叡智に触れて学んだ記憶がたくさん残っています。
今でも故郷に帰れば、また空を見上げて光を感じればその時の記憶が自分の中から沸き起こってきて自然な姿が顕われてきます。
今ではそのころの体験や記憶から身近な体験で見失ってしまいそうな智慧を思いだし自然とはどういうことかを示すことで周囲の人たちの刷り込みを取り除くことに貢献していくことができています。
都会の中に住まいながら、自分自身の中に無邪気な自然を持つことはとても大切なことだと感じます。そういう歓喜の遊びの中に、知恵がたくさん詰まっているからです。
今はどんなに世の中が自然から離れて、おかしなことになたっとしても全体としては包容する自然の心はいつも身近に生きているものです。
これからも身近な自然を味わいながら日々を楽しみたいと思います。
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ここ数カ月くらい前からビジネス雑誌やその類の本を手にする機会が増え、自分自身の立場・役割から学ぶ一つの方法だと考えています。また現場での学びは、教科書には書いていないことばかりで、教科書には書けない自分自身の感じた感性を大切にしたいと感じる学びがあることを何度も感じてきています。学ぶこと一つとってもたくさんの学び方があることを感じ、専門書で学んでいることが身に付くまでには、まだまだ時間が掛かりそうですが、知識を実践に変え新しい発見の中から学んでいきたいと思います。
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お客様と接する時、子どもの話、保育の話をすればするほど
自分たちの不自然さや刷り込みに気づく機会となるように思います。人間の成長も自然の摂理だからという事でしょうか。そういったことを気が付くと忘れてしまい、大人主体の都合を押し付けてしまいがちですが、本当に有難い事に、保育現場ではすぐに立ち返ることが出来る自然な存在がが目の前に存在
するのだと感じます。また、私自身もやはり自然な存在で居なければと強く思います。
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知るという事が一体何かという事を考えさせられます。どうしても今までの学校教育の影響か何か知識として自分の中に取り込むというイメージを持ってしまいますが、本来はやはり頭だけで考え理解しようとするのではなく、自分の実践から感じ取るという事ではないかと思います。実践するからこそ本当の意味で自分のものとなるというのを今は感じます。出来るだけ頭で理解しようとするのではなく、やはり日々の実践や体験から感じる物を大事にしていきたいと思います。