目には観えないのものに流れというものや繫がりというものがある。
あまりにも大きすぎるものは肉眼では見通すことはできない、宇宙でもそうだし親の存在、その他、自分のことを本当に大切にしてくださっている人たちのことなども目先に囚われていたら感じることはできない。
この急ぎすぎる世の中の人間社会に住まえば、日々の生活で太陽や地球、その他の星々の偉大さを感じることができなってくるようにこの目先の五感に頼っていたら本当にことは分からない。
その分からないのものにまず「流れ」がある。
自分ではどうにもならない流れというものが時というものを通じて顕われていることに人は気づこうとはしない。何でも自分でどうにかなると思っている生活をしていたらそういう感性が乏しくなっていくのであろうとも思う。
流れというものは、偉大なものでありそういうものは心で感じて受け容れていくしかない。その流れを受け容れ、どう生きるか、自分を転じていくかということが大切なことになる。
そしてもう一つの分からないものに「繋がり」がある。
自分ではその繫がりがなぜ発生し、なぜ次の繋がりになっていくのかは自分の人生だけの尺度では気づけない。色々なものが複雑怪奇に組み合わさり、太古の昔から、また未来から時を超えて存在している。そういうものを感じて受け容れることではじめて目には観えないけれど大切な色々な出会いを味わっていくことができる。
そういう繫がりもまた偉大なものであり、それをどう辿っていきながら心で繋いでいくかということが大切になる。
この二つをとっても、人間はその心でしか偉大さを味わえない。
日々の営みの中で、如何に偉大な存在に心を向けるかが大切でありそういう心を鍛え修めていくのが心学でもあろうとも思う。徳や道などというものも、元々自然の中に在り私たちが生きていくための智慧であろうとも思います。
どんな出来事も確かな何かな意味がそこに存在する。
その秘境に心を置いて歩んでいくことが人生なのだと思います。人生は偉大であるからこそ、その偉大な存在があることに感謝して人生を噛み締めていけることこそが幸せなのです。
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自分の5年後、10年後、20年…と考えていくと、予想も想像も出来ないですし、人の将来を考えているような気にもなります。どのような世界になっているか予想は出来ないですが、なりたい自分には近づいている数年後だと思っています。見えない未来に悲観する人もいますが、私はなりたい自分に近づき、誰かの役に立てることが、自分にとっての自己実現であると思っています。なりたい自分への経過であっても、経過なのだと思えることが幸せだと感じられる自分であってほしいと思います。
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自分自身がどの流れにいて、どのように人々とつながっていくのかは、過ぎ去った過去を見ると分かりますが、これからについてはやはり見えてきません。しかし、過去を振り返り、流れという悠久のものに対する自分自身の姿勢というものを考えることができるのではないかと感じます。自分らしくあるかどうか。そこを大事にしていきたいと思います。
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今は自分自身の中で日々振り返りを大事にしていますが、もしそういう時間も取ることが出来ないほど自分に余裕がなければ、やはり当たり前に気づき感じれる事も次第に見えなくなっていくのではと思います。現に自分に余裕がない時には、目の前で起きている事ばかりにとらわれ、その先の意味を考える事も感じる事も出来ません。改めて怖さを感じます。起きている事にはそれを導いている自分がいるという事をもう一度冷静に考え、これからも日々の振り返りを大事にしたいと思います。