自然界というものは、「ちょっとずつ」みんなで分け与えながら存在しているものです。あまり大きくはせず、あまり無理もせず、あまり欲張らず、いつもちょっとずつのハタラキの中に存在しているように思います。
もしもこの世に時間という概念がなく、終わりも始まりもないとしたらそんなに急ぐこともないように思いますし、焦る必要もないように思います。その急ぐ焦るの気持ちはどこからくるのか、それは自分への執着によっておこるようにも思います。
自然の生き物たちは、まるで大樹の根が長い年月を経てゆっくりとじっくりと張り巡らすように、まるで雨だれが長い月日を経てポツリポツリと石を穿つように悠久の年月に「ちょっとずつ」取り組んでいきます。
自分が生きていると思っている存在と、周囲に活かされていると感じている存在。
一見しては同じように観えていても、その心は生長はまったく異なる次元で存在しているようにも思うのです。ちょっとずつ歩んで往く姿というものは、外から見れば平凡で何も変化のない愚鈍にも見えるかもしれません。しかし実際の自然の姿から観ていたらその志や信念足るや非凡そのもの、力強く芯が思いをカタチにしていることを実感します。
如何にちょっとずつ進むかは、その人の信念の強さ、また心がけの正直さによるのかもしれません。自然から学び何よりも感動したのがこの「ちょっとずつ」という真実です。
まだまだ我欲や執着、思い込みや固定概念が抜けずに煩悶とする日々ですがそれもまた自然を学び直す教材の一つと受け容れ、引き続き実践を発明していきたいと思います。
コメント
「変化」するのにかかった長さが「時間」です。それは、変化に必要な時間です。しかし、いつの間にか、「決められた時間内に変化する」ということが求められるようになってしまい、その結果、「ゆっくり」は「遅いこと」になり、悪いことになってしまいました。「急ぐ」ことは、必要な手間暇の一部を省くことになり、それは、結局は「心を省く」ことに繋がります。「成長を時間で測る」という発想が、「成長する」ことの本質を見失わせているのでしょう。「時間効率」という発想を、一度離れないといけないようです。
コメント
大豆のときも、味噌も、そして藍もちょっとからはじめています。収量から考えればほんの少しかもしれませんが、自分自身の心に与える影響は膨大です。成長が気になり、家を離れれば水を欲していないかと思い、心配する存在がいることは変化をもたらすことを感じます。自然が働きかけ、自分からも働きかけその変化を大事にしていきたいと思います。
コメント
うさぎとかめの童話ではないですが、短期的な爆発力も必要ですが、もっと大事なのは歩みを止めない継続力なのだと感じます。苗の成長も目で見てはよくわからず、計ればわかるのかもしれませんが、それもまた違うように思えます。ただ信じていること、少しずつでも成長を止めない自然の姿に近付いていきたいと思います。
コメント
感謝か、不足や不満、不安と自分が何の土壌で生きているのかをよくよく確かめたいと思います。土壌が違えば同じ花でも育ち方は違うのだと感じます。ゆっくりと育っていける感謝の土壌づくりを身の回りから進めたいと思います。