人は信念を持って歩む時、誰しも正しいことを行おうとする。
それは澄んだ自分の心に従い、自分に与えられた天命を尽くしていくことだけれどその行程はずっといばらの道で在ることが多い。
例えば、理想を掲げて理想を歩もうとすれば周囲にはなかなか理解してもらえない。それは、あまりにも理想すぎてできるはずがないと思われるからでもある。
それに一般的には大衆は自分にできそうにないことに対しては、それをやろうとしている人を変人扱いし哀れみの眼差しすら向けるものである。
成功した後などは、周囲の態度も変わるけれどまた時が流れれば次第に変人だとされ理解されないような日々を送ることになるのである。
そう思えば、誰に憚らずとも自分の信じた道を貫くことが何より素晴らしいことなのである。
特に、理想が高く自分の中に定めた大義に生きるならいちいち周囲の雑音に耳を傾けるのは時間の浪費であるのである。そんなことは分かっていてもなかなかできないのは自分に自信がないからでもある。
自分に自信があれば本当の強さを発揮する。
そうやって自分の信じた道を歩むには本当の強さというものがあり、その強さとは正しいことを遣り切る強固な心、そして正しいことを遣り切る柔軟な心、この正しいというのはその全てを併せ持つ中ではじめて実践していくことができるのである。
誰かの顔色や周囲の偏見にすぐに自我が影響を受けて迷っていたら、何をやるにも中途半端になるのである。
まだまだ私は周囲のことが気になってしまい本来の自分のあるべき使命に専念するのに足元を見て迷うことがたくさんあります。
論語に四十にして迷わずとありますが、しっかりと今までの刷り込みを払しょくするために言葉も思想も再定義しつつ自分の強みを真に活かして今の社会に世界に貢献していこうと思います。
まずは自らをそのままに知るところから観直していこうと思います。
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「自分が正しいことをしていると言わない、相手を攻撃しない、争わない、他人に理解してもらうことを捨てる」と自然農の川口さんが話していました。考えを伝えたり、共感を求める行動は、正しい行いとは言い難いのだと感じました。仕事や将来のことを考え不安に感じたとき、本を手に取り先人の行動や言葉から勇気をもらうことがあります。自分はこれでいいと思えるのも、同じように迷いながらも道を切り拓いた人がいるからなのだと思います。今は貰うばかりですが、今自分が遣るべきことをしっかりと行っていきたいと思います。
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強さとは、正しいことを遣り切る強固な心とともに柔軟な心を併せ持つこと、身に詰まされます。優しさにこそ強さが裏打ちされるべきことと合わせて、一生を貫く課題です。
足元、なかんずく 自らを「そのままに」知ること、まさしく必須と痛感します。
魂=良心になることだと。どこまでそぎ落として肉薄できるかだと。
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自分に自信を持つという事は、自分自身の大きな課題です。
どうしたら自信が持てるのだろうと考えたとき、
まずは自信とはどこから手に入るのだろうと考えました。
誰かから褒めてもらったら手に入るのだろうか。
誰かに認めてもらうと手に入るのだろうか。
しかし、良く考えるとそれは、褒めてもらうことで自信がつくのではなく、
褒めてもらうことが切っ掛けで、自分が自分自身を信じることが出来るわけであることに
気付きます。自信は誰かにもらうものではなく自分で自分を信じてあげる事であるにも関わらず
そのきっかけをいつも、外部に依存していると、自信があったりなかったりと、
自分自身が見えなくなってくるのだと感じました。
自分自身を自分が信じるために、歯を食いしばってでも
自分の良心に従う事、良心が何と言っているのか考え抜く事、
良心に問いかけ続ける事、それを大事にしていきたいと思います。
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私の中で人として正しく生きるというのは永遠の課題だと思っています。今の環境を考えると様々な刷り込みがある中で、正しく生きる事が困難かもしれません。しかしそちら側を選択しているのも自分だとすれば、やはり正しく行きたいという気持ちを大事にしなければと思います。又正しく生きるとは、やはり素直に在りのままに生きるという事ではと思います。先ずは今の自分がどういう状態なのかしっかりと自分と向き合っていきたいと思います。