先日あるクルーが断酒をしました。子どもが憧れる大人になるために、自分の憧れる方の自分を優先しようと決心したそうです。決心をした後の、その人の言葉には本気さが滲み出ていました。
人は「本気」になると変わるものです。
その本気というのは何かということはそれぞれの理解ではなんとなく漠然としているものです。昔から本気になったとか、本気になれとか言いますが実際の本気になるとは一体何か、それを少し深めてみたいと思います。
最近人気の松岡修造さんの語録の言葉に「本気になればすべてが変わる」があります。日めくりカレンダーなども、本気を引き出すための様々な語録が集約されて紹介されとても売れているそうです。皆、人は変化に対して自分を変えたいけれど変われないで煩悶としていますからどうやったら変われるかということを悩むものです。
本来、人は人生を丸ごと変えようとするとき、表面ではなく根本から直さなければ本質的に変わりません。その根本とは”心から決める”ということです。心から決めるというのはなんとなくではなく、必ず「徹底」するということがセットになっています。
人がなんとなく徹底できないのは本気ではないからです。やったりやらなかったりすることは本気ではなく、やると決めたら徹底することが本気であるということです。なぜなら本気というのは、「決心」したものだからです。決めたという言葉は、決断した、決心した、決定した、決意したという「思い(信)が立った」状態のことです。
人が「思い(信)を立てた」時、必ずその次の行動として「徹底」があります。
心とは常に一つで、二心などというものはありません。もしも人が一つのことを徹底できないとしたら、それは心が決まっていないからです。あちらがいいかこちらがいいかと迷うとき、それは心が入っていないとも言えます。
心が入った、言い換えれば思い(信)が立ったとき人は実践を徹底することができるように思います。昔から凡事徹底という言葉がありますが、あの凡事は心の姿であり、それを徹底するという意味でしょう。
掃除道で有名な鍵山秀三郎氏が、「凡事徹底」を座右の銘にしています。凡事徹底平凡を非凡に努めるという言葉もあります。これはつまり「心を磨く」ということを本懐にしているからではないかと私は思います。
本気になったかどうかは、その人の徹底ぶりによります。やったりやらなかったりではなくまさに「決めて断った」ことが、その人の本気なのです。その本気は時間をかけてじっくりとゆっくりとまるで悠久の大樹の樹の根のように土中に張り巡らされていきます。そして心を磨き続ける日々の修行や実践によって高まってくるように思います。そして高まり極まる時、その人は本心のままの本当の自分に出会う事が出来るように思うのです。
仲間が本気になっていく姿を見守れるのは有難く、本当に沢山の勇気をいただけます。こういう一人の変化が波打って周りに影響を与えていくような好循環こそが世の中を変えていくチカラになっていくのでしょう。一緒に理念に向かって取り組む仲間があるというご縁が仕合わせそのものです。
最後に応援と励ましを籠めて詩人坂村真民さんの言葉で締めくくります。
『本気になると
世界が変わってくる。
自分が変わってくる。
変わってこなかったら、
まだ本気になっていない
証拠だ。
本気な恋、
本気な仕事。
ああ、人間一度はこいつを
つかまないことには。』
自分自身の決心と決断を支えるのは自分の初心ですから、その時々の初心を常に省みて心を磨いていきたいと思います。
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同じゼミで保育士を目指していた友人から連絡がありました。その友人は4年生の時、やっぱり演劇をしたいと保育士にはならずそちらの道に進んでいきました。「今度大きな舞台に出れることになったので、もし良かったら!」といったお誘いでした。あの時も、好きなことを目指す姿にすごいなと思っていましたが、諦めず続けたことで今日があることにまた嬉しさと凄さを感じます。保育士にならずとも、その生き方に影響力があることを感じます。自分もそういった生き方を目指していきたいと思います。
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ドラッカー教授は、「イノベーションとは、体系的廃棄である」と言われました。その背景にあるのは、「今のままでは、ある限界を超えられない」という危機感です。それは、「やり方」ではなく、その元となっている「思想自体に限界がある」ということです。人生に例えると、「その生き方を変えない限り、人生の限界突破はできない」ということでしょう。その決断、覚悟を応援していいます。
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酒を断つということに対して辛そうな素振りは全くなく、断つ酒に対してもしっかり感謝をした上で、変化していくこの先の自分にワクワクしているクルーの姿からは、生き方の手本をみせて頂いたように思います。小欲を棄て大欲に変えると言いますが、初心を忘れてしまえば、ありたい姿よりも目先の欲ばかりに目を奪われるのかもしれません。自分はどうか?じっくり向き合いたいと思います。
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好きなものを辞めるというのは、よっぽどの理由がない限り、本当に難しいことだと感じます。迷惑さえかけなければ、と根本を変えずに守りたくなったり、被害者意識にすり替えようとしたり、同じく好きな仲間たちからの非難轟々があったり、、と面白いくらいにデモが起こります。有難いのは、それでも辞めたいと思える理由があるという事です。また、それを見守ってくれる人がいて下さるという事です。今ならようやく、保育を変える時の苦しみに少し寄り添える気がします。しっかりと、味わって行きたいと思います。