世界の平安

全ての出来事というの物は、直接的なものと間接的なもので出来上がっているものです。それは直接目に見えるところと、間接的に観えるものが合わさっているともいえます。人は視野狭窄になると、目に見える直接的なところだけで物事を判断してしまうものです。しかし実際の物事は、目に見えないところの間接的な効果によって顕れてくるものです。

こういうことが分かるには、眼だけではなく心眼のようなものも同時に働かせることで気づけるように思います。そしてその訓練は、内省と振り返りによって行うものです。

例えば、過去のことを思い出すとします。その際、あの過去のことが生じたのは一体何が原因であったかということを見出していきます。すると、あの時の出会いがそうだったとか、あの時の行いが繋がっていたとか、あの時が運命の分かれ道だったとか、様々なことを思い出されます。そして今を見つめると、天の助けがあったとか、実践をしてきたからだとか、生き方が変わったからだとか、夢を信じたからだったとか、様々なことを振り返ります。

そうやって内省と振り返りを通して、人は直接的にも間接的にも、生じたご縁に気づきそのすべてを実感することで出来事や物事を全体を観ることができるように思うのです。もしそのように全体を素直に観ることができるのならば人間は方向を見失うことが少なくなるように思います。いや、言い換えれば人類は方向を見失わないのではないかとも思うのです。

今の時代は、間接的なことに対する意識が失われつつあります。振り返りと内省をする時間がないほどに何か急いでいるような気がしてなりません。別にただ早いという意味ではなく、内省し振り返る時間がなくなってきているのです。

目に見えるところばかりを見て生きるのは忙しくなるだけで思いやりを優先できなくなってきます。本来は、多くの間接的な見守りによって現実の世界は生じてきたのだからそこに対する感謝の心があってこそ御蔭様の有難さに気づけるものです。

一度、眼を半分だけ閉じて心の眼を半分だけ開き、同じ目で全体を丸ごと見つめその偉大な御蔭様に気づけるのなら如何に御縁を結べた思いやりで今につながっているかといった人類の初心をも思い出させていけるように思います。

大切な気づきを共有することで、心の平安も得られ世の中の平安も広がります。何を優先して生きていくか、力強く実践を高めていきたいと思います。

 

  1. コメント

    振り返るとあんな意味もこんな意味もあったとお得な気持ちになります。そしてその積み重ねは損得ではない、気付きの蓄積でもあると感じています。何で、どうしてと疑問に思う気持ちを大事に、追求していきたいと思います。

  2. コメント

    仕事においては、問題を解決するときに、分析的なものの考え方をします。原因を追及し、善悪を分け、分別をつけて判断し、できるだけ早く結論を出そうとします。しかし、その方法だけでは、決してわからない現実もたくさんあります。そういう時は、ただただ「受け入れる」ということが、道を開いてくれます。「すべては、意味があって生じている」と信じて、焦る心を止めて、もがくのをやめてみると、見えてくるものがあるのです。分别知を放下した時に見えてくるもの、そこには、もっと大きな現実があるようです。

  3. コメント

    一円対話のファシリテーターも、目に見えない準備が、同じくテーマをしても場を左右してしまうことをいつも体験していますが、やはり自分自身の心は鏡のように出るのだと感じます。お陰様の心でいるのか、我慢の心でいるのか。傲慢にならない自分自身でありたいと思います。

  4. コメント

    この建物には二階がある、そういうことに気づかなければ、そこに上がるための階段を探そうとも昇ろうともしないのかもしれません。自分はどうありたいのか。山の頂はどこにあり、どのようにして登りゆくのかを、自分の中で明確にしておきたいと思います。

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