全ての生き物には「根」があります。その根とは植物の根のところの根を指すのではなく、「先祖」という意味に換えてもいいのかもしれません。
島根に来るとなぜかいつもその根のことを思い出します。ここには日本(八島)の誕生(根)が深く関わっているから島の根なのかもしれません。不思議なことですが、太古の神話にあるいづもにいのちといのりの縁結びがあるのもまたこの根に深く関わるからなのでしょう。
そもそも私たちは今存在しているのは、遠い昔に先祖たちがあったから存在しているとも言えます。当たり前すぎて思い出しもしなくなりましたが、いのちにはすべて根があって今があるのだから根のないいのちなどこの世にには存在しません。自分中心に今に執着し当世ばかりを追いかけては「根」があったことを忘れてしまうのが現代でもありますが、本来の根っ子である私たちもまた連綿とつながるその根の一部であるのは自明の理です。
この根をどう直感するのか、その生き方の根を観れば分かってくるように思います。
昨日も見守るの理念でここの風土で誕生している保育園の実践を拝聴していくと、そこにあるものを活かす、勿体ないと活かす、そして伝承するという智慧を直感することができました。
ここの風土の中にある、先祖代々のものを伝承していく智慧は今の社會に必要なことではないかと思います。昨年より初心伝承をはじめていますが、伝承には常に初心があり、その初心を省みるとき必ず根の心に触れることになります。
そして”いのちのハタラキであるいのり”もまた根の徳です。
今回の御縁で何が結和していくのか、引き続き根を深めてみたいと思います。
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「あのね。」と呼びかけるように子どもが話し始めることがありますが、何故か繫がりであり、始まりのように思い浮かびました。大人だと「あのね」とはあまり言わないように思いますが、子ども同士だと頻繁に言っているように思います。話題を変えたり、お願いしたいとき、相談したいとき、一言ですが万能な意味を持っているように感じます。子どものように素直に言えることを大事にしていきたいと思います。
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松下幸之助さんは、今日、私たちが存在しているのは、両親やその両親、またその両親のお陰、そして、始祖のお陰であり、更にそれを通り越して、宇宙の根源にまで至る。そうすると「ここに存在できていること」への感謝は、この「根源」に対してでなければならないと考えて、「根源の社」をつくられました。そして、日々、「感謝の意を表し、素直を誓う場所」とされました。その「根源の社」の中には何もなく「根源という考え方」が入っていると言います。私たちも、「根源」「根本」という考え方をどこかにしっかり持って生きる必要があるかもしれません。
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自分と同じサイクルの中にいながら、根が何かということを意識だけで外さないようにしようとするのは難しいのかもしれません。生き物や植物とともに生きていた環境、そこに戻ることで根源も末端も知らずのうちに観えてくるようにも思えます。理屈ではない所で感じ取る感性を高めていきたいと思います。
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8日に草取りに伺える機会があると聴き、子ども達に聞いてみると、二つ返事で、行きたい!宮前さん、また寝ちゃうかなぁ?大河内さん運転しながら寝ちゃったら危ないね!笑
と、子ども達が2人で談笑していました。嬉しかったのはまず、これまで子ども達が体験させて頂いた2回の機会が根付き、いのちの循環に触れることに喜びを感じていること。そして親が働く会社の皆さんに親しみを感じてくれていることです。こうやって、環境を用意して見守って下さる事を有り難く受け取らせて頂きたいと思います。