昨日は石見銀山にある群言堂本店に訪問し、他郷阿部家を見学し松場登美様と御縁をいただくことができました。
ここの全てを見学しながらすぐに実感するのは、随所に心の風景のようなふるさとの懐かしさです。場所場所に配置されているものはすべて御縁から頂いたものしかなく、その一つ一つにはすべて物語があります。天から授かったものを大切に向き合っていく生き方が、その気配りの随所に顕れていて絶妙な安心感に包まれる空間がありました。
そして松場登美様のお話の中で何より感動したのは、「暮らしの基本」のお話です。
そもそも人間に与えられているものには宗教、哲学、芸術があるといいます。そしてそれは暮らしの中に存在しているものです。その基本として感謝する気持ちが宗教であり、哲学は学問ではなく美しく生きることであり、芸術は子どものようにアーティストであることだといいます。そして暮らしの中にある長い間の文化が如何に美しいかを思い出すことが大切であるといいそのモノサシは「正しいかどうかよりも美しいかどうか」だと仰っていました。
私たちが本来持っていた暮らしはどこからか分断され今では経済優先、効率優先、お金ばかりで「もったいない」の意味もすり替えられてしまいました。本来のもったいないという”御縁をつむぐ”ような考え方ではなく、単に貧乏性のような用いられ方になってしまっているように私は思います。
私たちの暮らしを後回しにしてきたツケは、必ずこれからの子ども達にまわってしまいます。どんな未来にもどんな事業にも暮らしは欠かせないものですから「本物の暮らし」を見つめ直す時代に入っているように思います。如何にこれからの日本にかつての「本物の暮らし」といった根のある生き方を遺していくか、それは古いものか新しいものかではないのですから子ども達にその根を譲っていくために私たちもしっかりと実践しなければと改めて気づき直すことができました。
文化が壊れていくなかで何を遺していけばいいか、時代の変遷の中で何を大切に譲っていけばいいか、それは「本物の暮らし」であり、「先祖たちの真心」、それは「美しい生き方」であると確認しました。そして悠久のもの、古いものの全てには”魂が宿っている”からこそその魂が慶ぶ生き方や使い方をしていきたいと思います。
そしてこれからもずっと子どもは私たちの未来であり、子どもたちは先祖から譲られてきたクニの宝です。その子どもたちに何が遺せるか、そういう視点からカグヤでも今回の御縁を活かし実践を根気強く発信していきたいと思います。
御蔭様の奇妙な御縁に心から感謝しております。次回は、一家総出でぜひお伺いしてお世話になります。ありがとうございました。
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群言堂さんのHPを観ていると惹かれるものと、そこに保育の原点があるのではと感じます。そして群言堂さんのことは以前、雑誌か何かで紹介され知ってはいましたが、実際に今度現地へ赴けるとのことで嬉しく思います。ただ本も読むのではなく、一つひとつの情報をもっと大事にご縁として頂いていることに感謝し、受け取る心を磨いていきたいと思います。
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着物を着た日本人の所作はとても綺麗です。日本料理は、器も盛り付けも芸術そのものです。職人技の塊である日本家屋には、いつも花が生けられ、庭には四季があります。祝詞ややまと言葉は、その響きが美しく、人々が手を合わす姿には貴い美しさがあります。時間を守る意識も、道具を大切にする姿勢も日本人らしく、そして、いまも職人の仕事は神業です。日本文化の「美しい生き方」を学び直したいものです。
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海外から絶賛される日本の夏の風物詩「花火」。起源は日本ではないようですが、これも和の心が美しさに繋がっているように感じました。日本の花火は全てが手作業、形も球体でどこから見ても円になる。一方、外国の花火は一色の火薬を機械でプレスされ、星も一方にしか飛ばないため円にはならないそうです。文化や用途の違いではありますが、権力の象徴ではなく庶民の愉しみとして、どこから、だれから見ても同じ円を描くという所に思いやりを感じ、それが美しさとして表れているように思えました。文化の中にあるものを味わっていきたいと思います。
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煎り酒や垂れ味噌をつくっていくと、その手間暇の中に美しさを感じます。ポタポタと垂れる一滴。濾されて黄金色に輝く液体。素材の味を引き出す関わり。どれもこれもが、発酵したものばかりが集まり出来上がっている事や、漉して分離したものもふりかけや、焼き味噌にして美味しく食べられ、無駄なく全てが美しいと感じました。この豊かさは自分一人で体験するのではなく、みんなに、誰かに伝え、一緒にやりたいと感じます。改めてまずは家族や仲間と共有して行きたいと思います。