個性というものについて昨日も書きましたが、個性は人間性を優先するためになによりも大切なものです。人間性が個性ですから個性を排除するというのは人間性を排除するということです。人間がロボットやゾンビのようになるのもまた、その個性を排除することで行われていきます。
個性とはその人そのままの姿ですから、それをみんなと同じにするというのは個性を否定するということです。人間は自分得意不得意がカラダにも出てきていますし、顔にも、性格にも、特長にも表れて出ています。それは観方によれば、それを活かして使ってほしいというアピールでもあるのです。それを長所ともいい、その長所を伸ばしてあげることで人はみんな役に立つ仕合わせに出会います。仕合わせとは助け合いの中で得られるものですから、自分の長所が皆に喜んでもらうことほど自己実現できることはありません。
そしてそれは周りが個性を発見、発掘することも大事ですがその本人が個性を出していかなければ周りに貢献していくことが難しくなります。長い時間をかけて個性を否定される教育を受けてきたり、自分自身で個性をなくしていくような生き方をしてきたら自分自身に気づかずに新しい自分にも出会えません。
それではどうやって個性を引き出すかということです。
それは「己に克つ」ということです。人は自我欲を乗り越えて、自分都合を度外視して私的な自分を手放して己の目的や信念、初心、理念を優先することで己に打ち克つことできます。そうやって己に打ち克ち続けることで次第に個性は磨かれて発揮されていくものです。個性が出てくれば、次第に周りがその個性に自分の個性を合わせて協力していくことができるようになります。
個性は己に克った集積により磨きだされていきます。世の中で活躍する人たちや、貢献していく人たちはみんな個性が突出しています。そしてその全ての人たちはみんな「己に克つ」ことができている人です。個性が人間性であり、個性を磨くことが人格を磨くということはそういうことです。
人間は生まれながらに唯一の個性をもって産まれてきます。それは指紋が一人として同じ物がないように、顔が同じ顔がないように個性を何よりも尊重します。その個性を尊重することが本来の「人権」であり、それは単になんでも私物化する自分の権利のことではないのです。
だからこそ人権を尊重するために、産まれてきたままの異なりを否定せずに認めることが子ども一人ひとりの発達を尊重するということになるのです。私たちの提案するミマモリングプラスというのはそういう哲学と思想、実践の中から開発されてきたものです。
個性豊かな仲間たちを増やして、百花繚乱の美しい思いやりのある社會を子どもたちに譲っていきたいと思います。
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松下幸之助さんは、「人間としての成功」とは、与えられた天分を、そのまま完全に生かし切ることであり、それが、「人間としての幸福」につながっている。したがって、自分に与えられた天分に添うか添わないかが、「成功の基準」になる。また、人それぞれの天分がそれぞれに発揮されることによって、お互いの共同生活に彩りと豊かさが生まれ、生き生きとした百花繚乱の姿が見られる。この「百花繚乱の世界」こそ、自然本来の姿である、と仰っていました。与えられた天分(個性)に添って、ひたすら己を磨き続けたいと思います。
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一円対話で隣の人のいいところ話しますが、あれがあるから今の自分があるように思います。磨くにも磨き方が分からないとボロボロにしてしまいそうですが、人から聞くことで自分自身を再認識させてもらっています。もし、なかったらと思うとまた今とは変わっているように思います。認め合う中にお互いを伸ばし合う風土があると思うと、この文化を大事にしていきたいと改めて感じます。
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次回のチーム内省での振り返り項目が「今週のあなたは、自分の『人生』に本気でしたか?」に決まりましたが、どのような状態が『本気』であるのかを誤らないようにしたいと思います。己に克つこと、思いやりに生きること、感謝を忘れないこと、色々とありますが、これがありたい姿だと、心の声に素直に耳を傾けていきたいと思います。
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アースゲームを子ども達とやると、その子らしいやさしさや、主張の仕方、思いやり方、笑い方、と色々なものを感じさせてもらっています。一緒に協力する中で、一体感やゾーンのようなものが感じられるタイミングが来ますが、そういった関わりと感覚を大切に磨き続けたいと思います。