トラウマ

人は何かしらのトラウマを持って生きている。
それはいつの時に刷り込まれたのかは分からないがずっと心の深いところで息づいて虎視眈々と機会を狙って待っている。

人には心があるから、目に見えるところだけではすべてを判断できない。
深い深いところになるとより見つけることが難しい。
そして、その深さほど解決までの時間がかかるものだ。

しかし必ずその部分に向き合う瞬間が訪れる。
一定周期なのかそれとも、終わりのときなのか分からないがそれは必ずやってくる。そしてそれは、無意識に「浮世の導き」として引寄せていく。それが良い方向なのか悪い方向なのか、幸福なのか困難なのかはその人のものだけにこれは誰にも分からない。

だからこそ時折は、日常の出来事の中で自省し自我の深層部分に光を少しずつ当てて見つめていくことも大事なことだ。

特に気になることがある。

幼い頃の記憶は、幼ければ幼いほど素のままの心に深い影響を与える。
私もそれを持っている。
そしてそれは、きっとみんな持っているのだと思う。

幼いだけに意識が明確になった頃には持って生まれた当たり前の宿命のように、無自覚のまま本人はそのトラウマを背負い一生生きることになる。
だから、その無自覚のトラウマに人生が翻弄されていく。
向き不向きでどうなるか、また環境や教育、出会いや遺伝子でもどうなっていくか分からない。

しかしはっきりしていることがある。

幼児期の子どもたちには大人の身勝手なトラウマを刻んではいけない。
不注意でトラウマを持てば、その子の一生を決めてしまうことにも繋がる。

スタートは大事、スタートが全てのゴールを決めていくのだ。

私はカグヤのHPに「幼児期は人生の縮図だ」と書いた。

だからこそ、深い愛情を持って人の愛が分かるような優しい人間に育って欲しいと望み関わることが我々大人の責任だと思う。

幼児期の子どもたちの世界に及ぼす力を侮ってはいけない。
それが、この地球の進化をつくり、我々人類の未来を創るのだから。

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