昨日からカグヤ一家のみんなと沖縄に来ています。昔、民俗学を深めていたときにルーツを辿る旅をしたことがあります。海上の道といって、民俗学の柳田国男さんが稲は沖縄・奄美と南方の島伝いに来たとの仮説を説いたように、周囲を海に囲まれた日本列島は太古以来海上の道を通じて広い世界につながっていたということを調べています。
種と共に人がどのように移動してきたかということに着目をして、先祖たちの移動の経路を辿ったのです。以前、種子島に訪問したときある遺跡から赤米を育て赤飯を炊き、貝に装飾をし交易をする古来の民がいたことが分かってきています。またこの南国の島に遺る数々の神話には、ニライカナイという根の国に棲んでいた民が渡来してきたことが口伝されていまに遺っています。
自分たちの先祖がどのように暮らしてきたのか、そしてどのような生き方をして今にいたるのかを知る旅は今を生きる私たちにとってとても大切なことだと私は思います。祖親たちから受け継がれてきた「思い」や「祈り」を、譲られているから私たちの価値観が存在し、私たちの「真心」が生きているとも言えます。
何かを考えるモノサシに「悠久の魂」を感じることは、本来の私たちの暮らし方を見つめ直す大切な機会であると思います。この世のすべては御縁によって結ばれているともいいます。そういう御縁に結ばれていることが常にはっきりと観えているのは心の豊かさに生きていることであり、感謝や御蔭様、偉大な恩恵を授かった今の自分を大切に生きることに似ています。
地球は46億年、そして私たちの先祖たちも何億年も前からこの地球の中でいのちを譲り渡してここまでつないできてくださいました。その「思い」を子どもたちに「つなぐ」のもまた私たちの役割であり使命です。
どんな生き方をしてきたか、どんな魂の磨き方をしてきたか、それは今を生きる仲間たちによって思い出され甦ってきます。懐かしい島の音を聴きながら、「彼方の海道」に思いを寄せてみたいと思います。
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私たちは、「時代」をリレーし、駅伝のように「思い」を繋いでいます。前の人の「思い」を正しく受け継ぎ、次の人にきちんと伝えていく役割があります。前の人の「思い」とは、これまで受け継がれてきた「生き方」であり、未来へと託された「希望」です。自分たちの時代に、自分たちの都合でただ生きやすく生きるのではなく、正しいルーツを知り、それを手がかりに「魂の記憶」を思い出し、「本当の自分」や「自分の血の本質」というものを知って、それを「誇り」として「喜び」として伝えていきたいものです。
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昨日の「SUMMER NIGHT RUN 沖縄」では、走っている最中に各ポイントで声援をくれる仲間の姿が有難くまた嬉しく、いつも周囲に支えられて今の自分があり、またその自分も誰かの支えであるのだという、一体になる感覚を学ばせていただきました。このような繋がりはマラソンだけでなく全てのことに通じているのだと感じます。そしてこの個ではない感覚は、横軸である世界と縦軸である過去未来にも言えることなのかもしれません。本当は先祖たちから受け継ぐべきものは仲間からの声援のように、今そしてこれからの未来の支えになるものなのだと思います。昨日、世界平和という言葉を伺いましたが、世界とは国々という意味ではなく、過去も未来も含めた世界であり、祖先から子孫へと思いのタスキが繋がれていくからこその平和なのだと感じました。広く自分を遣っていきたいと思います。
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川畑会長はそもそもの日本人の経済の原点は「わかちあい」「贈与経済」であると仰いました。今の貨幣経済に慣れ親しんでいると、今、分かち合いをしようとすると「与える人」「与えられる人」の存在の中で、与えられた人はもっとお返しをしなくては、、、と苦しむのではないか。という二元論から抜け出せないこともあるのではないかと感じます。そもそもの「分かちあい」には与えられる人与える人というレベルの者の見方や感性ではなく、もう一つ別の真心を持っていたのではないかと感じます。それが何かは分かりませんが、お互いに機会を与えて頂いたという感性や、お互いさまと言う感性、自他一体と言ったことなのかもしれません。自分自身の実践と、この研修を通じて深めて行ければと思います。
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伝統文化を体験する実践でもそうですが、知れば知るほど日本ってすごいということを実感します。安全で平和な国に生まれよかったではなく、どんな文化や伝統を築いてきたかを知ることで自信や誇りが湧いてきます。そして、知らないから調べることはもちろんですが、継承されず途絶えている事実も同時に感じます。途絶えたものを別のもので上塗りすることなく、もともとどうだったのか教えられたものを疑い、動いて自分の目で見ていくことを大事にしていきたいと思います。