久高島は、原始母系の社會が残存している島だと言われます。アマミキヨという女神を中心にノロと呼ばれる神女(巫女)たちが島でいのりを捧げる場所です。島では「男は海人、女は神人」という諺もあり、女性のほとんどが神職者として様々な祭祀を取り扱っています。女性は家族の守護者として、一生涯、夫、子をはじめ一家を見守り続けていく存在としています。
この島は、女性たちが完全に自給できる島であったと言います。島の東側にはたくさんのサンゴがあり、潮の満ち引きででてくる貝を採ったり、森には貴重な野草や、食べ物がありました。その他、近海の魚も採れ、暮らしを立てていたそうです。男の役割は、漁にでて留守にしていますからほとんどが女性たちで家を形成していたとも言えます。
フボー御嶽というところは、原始の魂が宿る場所と呼ばれ男子禁制になっています。アマミキヨといった祖神の魂が、その住居跡に遺っていると信じられています。ニライカナイをはじめ、「原始の魂」とは心の故郷でもあります。戻ってきたいと思える場所、帰ってきたいと思える場所、それが故郷「根のクニ」であろうと私は思います。そしてその根のクニには「見守られてきた思い出」がある場所だとも言えます。人は見守れるからこそ故郷(根のクニ)があり、見守られたところが故郷(根のクニ)です。そういう魂の故郷(魂の根)を持っているということは、生き死にを超えたところに存在するように思います。
民俗学の柳田国男さんが、同じ民俗学の折口信夫追悼会にて「根の国とニルヤのこと」としての言葉にはこうあります。
「つまり日本人が昔持っておったニルヤ、ネノクニという国は、モトの国、モトツクニであって、遠くの方、海の水平線の向こうのウナサカにあり、相応に楽しい所であり、人も時々は戻ってくることのできるところであったということであります」
海の彼方には根のクニがあったと言います。魂の故郷、自分たちが見守られた場所があったと言います。そこは魂の楽園であり、何かがあれば戻れる故郷があったといううことです。人々が疲れ斃れそうなとき、懐かしい場所があるということは何よりも魂を救います。かつてヤマトタケルの望郷の詩「大和はクニのまほろば・・」を思い出しました。私たちの望郷というのは、故郷への思いです。その故郷がいつまでもあることで私たちは外に出ていくことが出来ます。そして外に出たら帰る場所があるから安心できるのです。さらに柳田国男さんはこういいます。
『亡き人と会える場所と伝えられる』三井楽(みいらく)という地名の考証には、私は最初南島のニルヤ・カナヤが、神代巻のいわゆる根の国と、根本一つの言葉であり信仰であることを説くとともに、それが海上の故郷であるがゆえに、単に現世において健闘した人々のために、安らかな休息の地を約束するばかりでなく、なおくさぐさの厚意と声援とを送り届けようとする精霊が止往する拠点でもあると、昔の人たちは信じていたらしいこと、その恩恵の永続を確かめんがために、毎年心を籠め身を浄くして、稲という作物の栽培をくり返し、その成果をもって人生の幸福の目盛りとする、古来の習わしがあったかということを考えてみようとした。」と。
まさに久高島が「神の島」と言われる由縁です。一家を見守り、いのり支えられる場所、そして魂が戻る処こそ、私たちが永遠を確認する場所であったということでしょう。そこには神の仕業という仕組みがあり、具体的には稲作という稲を共に育てることをもっていつまでもその魂の故郷の生き方や暮らし方を見失わないようにという初心伝承があったのかもしれません。稲がどのように伝播してきたか、そして海上の道を先祖たちがどう歩んできたかの終始点は確かに琉球にあったのかもしれません。
そして同じ民俗学の折口信夫はこう言います。
「万葉人の時代には以前共に携へて移動して来た同民族の落ちこぼれとして、途中の島々に定住した南島の人々を、既に異郷人と考へ出して居た。其南島定住者の後なる沖縄諸島の人々の間の、現在亡びかけて居る民間伝承によつて、我万葉人或は其以前の生活を窺ふ事の出来るのは、実際もつけの幸とも言ふべき、日本の学者にのみ与へられた恩賚である。沖縄人は、百中の九十九までは支那人の末ではない。我々の祖先と手を分つ様になつた頃の姿を、今に多く伝へて居る。万葉人が現に生きて、琉球諸島の上に、万葉生活を、大正の今日、我々の前に再現してくれて居る訣なのだ。」
生き方を見つめるのならかつてどこから私たちが生き方暮らし方を訣別し分けてしまったのかを思い出す必要があります。分かれてしまって出来上がった社会が今の現実だとし、もしもこの今の社会が間違ったのではないかと心が気づいたのならまたそこでご破算にして初心からやり直せばいいのです。その初心を求めるとき、まだ全国各地の美しい故郷にはそれが遺っているはずです。そこに暮らす悠久の長い歴史を助け合い和の心で生き抜いてきた先祖たちを尊敬し、今の私たちの生き方をどう温故知新していくかは今を生きる私たちの本当の使命ではないかと私は思います。
そして私たちの先祖、「万葉人」は『言霊』を扱う民でした。その本来の万葉人の直流こそが琉球人だともいいます。私たちの先祖たちがどのように暮らしてきたかを求め探し出し、伝承する場所をどのようにして遺していくか、課題はまだまだ山積みです。
最後に魂を磨く時代、魂を救う時代、沖縄では魂のことを「マブイ」といいます。先日、沖縄で参加した朝礼である経営者の方から「魂を磨いている人たちをみると眩しい」と言われたことを思い出しました。
マブイを磨くのは、俗語ですがマブダチ(仲間)に出会い、マブシイ(本物の美しい姿)を顕現していくことかもしれません。引き続き、子ども達の三つ子の魂を見守るためにも、魂磨きを深めつつ実践していきたいと思います。
彼方の海道も今回で御仕舞ですが、引き続き島根へとつながりを愉しみたいと思います。子どもの故郷を遺して譲っていくために、いただいたいる御縁を大切に歩みを進めていきたいと思います。
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「生き方を見つめるのならかつてどこから私たちが生き方暮らし方を訣別し分けてしまったのかを思い出す必要があります。」とありますがこれまで、そんな風に「生き方」を実感として考えたことはありませんでした。私たちの祖先がどこから来て、何を食べ、どんなところに住んでいたのか。どう生きてきたか知ることは、どう生きるかに繋がっていることを改めて感じました。「生き方」を個人に焦点を当て随分狭く捉えていましたが、今学んでいる衣食住と生き方がどれだけ密接に関わっているかを再認識しました。今、学ばせて頂いている意味を取り違いせず、子どもたちに還元していけるよう学ぶ姿勢を正していきたいと思います。
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「人間は永遠の生命を生きている」と信じています。そして、誰もが「魂の故郷」を持ち、何かのきっかけさえあれば、「自分たちの本質を思い出すことができる」と確信しています。現在の生き易さや安易な価値観に慣れてしまい、その「懐かしさ」を思い出す感性を鈍らさないように、日々、心を磨き続け、「出逢い」に素直であれるようでいたいと思います。
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「神の仕業という仕組み」という言葉がしっくりと感じられました。前週の稲刈りも会社見学も駅伝も久高島も全ては繋がっていたように思えます。そして自然には人が豊かに生きるために必要な環境が元々そなわっており、夜空の星や朝日だけでなく浜辺で輝く貝殻ひとつからもそれが感じられました。感謝する、視野を広げる、初心に返る、人間の我を無くすような、本来自然が与えて下さっていた環境の代わりを、会社見学で見せて頂いた多くの実践は、その役割を担っていたのかもしれません。改めて環境設定の大切さを見直していきたいと思います。
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今回の訪問で、自分の今の生活とかけ離れる事実と、反対に懐かしく暖かい、心地よさを久高島での時間の中で感じました。味噌作りも梅干し作りも、何か同じ感覚であることに気づきます。太古の何かと繋がるような感覚を仕込みの作業をしていると感じます。作業というよりも儀式に近いのかも知れません。もうすぐ、味噌を取り出しますが、儀式を通じて久高島と繋がって行きたいと思います。