人はどんなものと一緒に暮らしているかで住まいは容どられていくものです。その人の生き様が住まいには出て来ますから、どんな生き様であるかは次第に身のまわりのものたちに引き寄せられ顕れてきます。
よく考えてみると、人生の御縁も同じくどんな人たちに出会ってきたかが人生の生き様でもあります。その人の出会い歴が、今のその人でもありますからどんな御縁に彩られてきたかがその人生の姿容に顕現します。
そう考えてみると、その人の御縁を辿ればその人がどんな方々に見守られ一緒に生きてきたかといった生き様歴を知ることでその人が一体何と繋がっているかを観ることができるようにも思います。
例えば、住まいでいえば住まいの中にどんな宝物を見つけてきたのか、何を飾り何を愉しむのか、そしてどんな思い出を持っているのか、どんなつながりの中に自分を置いているのか、何を大切に生きているのか、そういうものも住まいから感じ取れます。住まいとは生き様であり、生き方の根本を支えてくれる場所ですからそこには確かな魂が宿るようにも思います。
そもそも宿るという考え方は、人間はこの世に出てきて魂が御身体をお借りしている借りの宿という見方もあります。海辺に住む宿借のように、私たちも魂を守る宿をお借りして生きています。いつかは死んで元に返さないといけない日が来ますが、その日が来るまではお借りして生きていくことができるのです。だからこそその借りの宿の一つでもある住まいを大切にすることと自分自身を大事にすることは分けることはできません。
住まいの中の一つ一つには、御縁に彩られたストーリーやドラマに溢れています。その一つ一つをどれだけ大切にしてきたか、それが愛着だとも言えます。過去の記憶を美化し、今まで恩恵をいただき助けてくださった方々の御縁と御恩に感謝して今の暮らしに自分を見つめることは繋がり(御縁)の中に住まいを置いていることだとも思います。
最近は、住まいにも粗末にする生き方が出てきてすぐに気に入らないと捨てたり忘れたり投げ出したりなかったことにしようとしたりという風潮が多いように思います。不自然に教え込んだ刷り込みから間違った個人主義が蔓延し、繋がりや絆、家族や家といった本来の仲間という存在、魂の御縁をも私物化しているように思います。
どんなものにも、どんな人にも大切なご縁がありますからどんな御縁に導かれているのかを愉しむ心の余裕が住まいには遺っています。一生の中で出会ってきて、共に暮らしてきた期間こそが人が住んだ証です。
「もったいない」と人生を大切に生きていく人は、きっと良質な住まいに巡り会うと思います。
住まいは生き様ですから、自分の住まいを大切にして一つ一つの思い出を刻みながら御縁を愉しみ大切な日々を過ごしていきたいと思います。
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「住まい」を見れば、そこに住む人の「生き方」や「暮らしぶり」がよく見えます。「来客がある度に、家が片付く」ともよく言われますが、日常にこそ、その人の本質的な傾向が伺えます。モノとの付き合い方、整理整頓の習慣、掃除へのこだわりなどは隠すことができません。「自分で作った習慣によって、人生が左右されてしまう」ように、「自分で作った環境によって、人生が支配されます」から、注意したいものです。
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応接室に飾られているときめき写真。「ときめく」豊かさを感じられる有り難さと、写真を見るたびにそのシーンが思い返されます。そして小さい頃、身長がどれだけ伸びたか柱に跡を付けていたのを思い出しました。あの日、あの時の家族とのシーンが思い浮かび、振り返るとどれも思い出になっていることを感じます。思い出がたくさん詰まっている場所だからこそ、曇らせたくない、清潔でいたいそう改めて感じます。家族が集う場として改めて住まいとは何か、見直したいと思います。
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沖縄教育出版様でご紹介した「ときめきムービー」に心底感動してしまったのは自分の方でした。繋がりや見守りを感じたり、振り返ったり味わったりの日々を思うと、そこに家族以上の「家」を感じます。子どもの憧れる会社、子どものモデルとなる生き方と言いますが、一家宣言をした今では一家としての手本となることもまた社業のように思えます。負の言葉は飲み込み善の行動へと変えていきたいと思います。
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日々の暮らしの中で、何に囲まれているのか。そのものの中には何が宿っているのか。それを見れば日々に何を大切に暮らしているかが分かるのかもしれません。子ども達が作ったものや写真には、その時々の魂が宿っているように思います。また、味噌樽や梅干しにも、毎年の思いが宿るようにも感じます。囲まれるものも、自分たちも磨かれるような生き方を目指したいと思います。