自然の戦略~棲み分けの音色を聴く~

生き物たちは同じ地球で生きていますが、それぞれの時間で棲み分けをしているものです。これはもし同じ場所ですべての生き物が活動するならば、雑多大勢の生き物たちで混乱してしまいます。

同じ地球の中で如何に御互いが同じ場所で生きていくかは、それぞれの自分の特性に合わせて棲み分けしていくものです。

一日の中でみても、かなりキメ細かく時間帯で活動が分かれます。例えば秋の虫でみても、夜に鳴くコオロギやキリギリスをはじめ、かなりの虫たちが秋の音色を奏でます。その中でも夕方から夜に鳴くもの、夜中から深夜に鳴くもの、そして朝方に鳴くものがいます。もっとも虫の音色が静かな時は、山の鹿や猪など野生の動物たちが活動します。

同じ音を聴いていても、耳を澄ませばそれぞれの時間帯にそれぞれの場所を棲み分けるのです。自然界は極力無駄な戦いを避けようとします、それは天敵というものを自覚するからかもしれません。共生とは、助け合うことですから助け合うことを優先すればするほどに棲み分けは成り立つのです。

そしてこれは人間でも同じように思います。わざわざバッティングするところにいて混乱するのなら融通無碍に自分の方を戦わない方へと移動していく・・・これを戦略ともいいますが、生き物たちはみんな自然の戦略を自分たちなりに持ち歴史を生き延びてきたとも言えます。

そう考えてみると、自然の絶妙のバランスとは自然の戦略に存在しているのかもしれません。御互いに助け合い、御互いに活かし合う、その中に本来の自然というものの姿が顕現しています。

それぞれが助け合う時、もっとも自然は絶妙なバランスを魅せてくれます。自然の音色を聴きながら、如何にこの世の中がいのちに満ち溢れているか、如何にこの世界がみんなで分け合って生きているか、そういういのちの音色が聴こえてきます。

食べて食べられる関係の自然界ですが、余計な分を食べないのも食べる分しか殺生しないのもその根本がいのちの助け合いの中で存在していることを自覚して忘れていないからでしょう。

変に我を捨てるとか、我を手放すとか、頭で云々をぐるぐる回す前に、当たり前の生活を取り戻した方がいいのかもしれません。子ども達に譲り渡していきたい暮らしとは何か、しっかりと深めてカタチにしていきたいと思います。

  1. コメント

    自然には、「絶妙のバランス感覚」というものがあり、常に、「バランスを保つ」方向にエネルギーが働いています。何らかの事情で異変が起きても、必ず制御がかかるようになっています。その多くは、自分でバランスを取ることができるようで、自浄作用もあらゆるところに備わっています。このバランスを崩すものが「不自然」であり、それは感覚として同居できないのでしょう。「分」をわきまえるのも、このバランス感覚であり、このバランス感覚が、生かし合い、助け合いの目安かもしれません。

  2. コメント

    そこには確かに生活があり、あっという間に生活が一変した光景が広がっていました。家族との写真、アルバムの数々。そこにもきっと色々な音があり、今はただ、思いを巡らせることしか出来ません。心が動いても、誰かの目を気にせず動きを止めるのではなく、心が思うままに行動していくことを大事にしていきたいと思います。

  3. コメント

    敬老の日にあたり親兄弟子孫が家に集まると、意識せずともそれぞれが役割や持ち味を自然と活かし合う関係がみられ、この生まれてから老いていくということの中にも共生の仕組みがあるように感じました。そしてそこに留まらず、それをまた視野広く押し広げていくことの必要性も同時に感じました。今の自分がどのような役割をいただいているのか、見失わないようにしたいと思います。

  4. コメント

    被災地に行き、広大な田んぼがダメになっていたり、
    収穫を終えたコメの貯蓄庫が被害にあっている現状を目の当たりにし、農家の方々は「今年の収入をどういたらよいのか」と頭を悩ませていらっしゃいました。天変地異や天災は太古の昔から続いています。その中で人類は助け合いながら生きてきましたが、資本主義経済の今、どうやって助け合っていくのだろうかと感じます。改めて「農協」や「行政」に限らずに、この機会をありがたい機会に変えていけるように、誰か任せでもなく、自分が出来ることを生活や実践の中から紡いでいきたいと思います。

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