場チカラ

先日から社内の場力を高めるための工夫を進めています。発酵場というものもそうですが、場というのはチカラです。その場が善くなるというのは、チカラが集まるという意味でもあります。

ここで場力について少し書いてみたいと思います。

そもそも人間にとっての場とは何か、それは何かが行われているところのことです。その場とは、料理する人は料理場とも言うし、工事する人は工事現場とも言います。場とは、何かが行われている場のことです。

その場がどのような場になっているか、それはそこで生きる者たちの生き方の場でもあります。その場は、それぞれの生き方が集積することで場にチカラが集中していきます。

例えば、暮らしというものがあります。その生き物たちがどのように暮らすかでそこに場ができます。これは人間に限らず、山川草木昆虫に至るまですべての生活が場に顕れてきます。

その生き方が自己中心的であればそれにそった場が現れますし、共生し貢献するような生き方があればそれに沿った場が顕れます。掃除一つをとっても、綺麗にすれば美しい場が生まれますし、ゴミで溢れかえっていれば粗末な場が生まれます。そしてそれは次第にそこで発生する関係性にも影響を与えていきます。

理念が初心というものは、そこに場を創ります。場チカラというのは、そこで実践したものたちの集積力によって場が顕れていくとも言えます。どんな場面でどんな場所でどんな場合にその人がどんな生き方をしたかが出て来ます。場を和ませる、場をわきまえる、場を活かす、場を明るくする、その場には、その場その場で発した場チカラがその場に集積するのです。

この集積力とは求心力とも言えます。地球が中心に引き寄せていくチカラの御蔭様で私たちは宇宙に飛び散ることがありません。それは地球の地場に守られているからです。この求心力は、活かそうとすることで場ができているとも言えます。

すべての生き物は育てるものではなく育つものです。教えないで育てないとしたら、育つわけですからそこには場があったということの証になります。場があるから育つのですから、そこで育つ生き物たちには場を明らかにする責任があります。場チカラがあるというのは、場に顕れるほどの生き方の実践が集積され文化になったということです。

その人の理念・初心・祈り・願い・思いが意識になり、場が顕現します。

つねに場を高めていくために、精進して沢山の御縁のつながりから発生する場チカラに感謝しつつ、その場チカラをお借りして子どもたちに伝承していきたいと思います。

  1. コメント

    「場」には、その場独特の「波動」があり、そういう意味では「生きている」と言えるでしょう。そこが「いい波動」であれば、人を癒やし、勇気づけ、あるいは集中させてくれたりするでしょうが、逆に「悪い波動」であれば、心を乱し、やる気を無くさせ、あるいはケガをさせたりするかもしれません。「場」には、人以外の要素も大きく働きますが、人も場を作る大きな要素です。その場をそのまま生かすか、より強い場にするか、その場の波動を変えるべく努力するか、「場を作り」「場を整え」「場を生かす」ということにもう少し注力したいと思います。

  2. コメント

    連日社内で作業が続いていますが、この過程の御陰で自分事として考え、愛着が湧いてくるのを感じます。これがもし、購入したものであったらと思うとそうは感じないかもしれません。自分たちで実際にやってみることで引き出される興味関心は、やってみることでまた引き出されます。この雰囲気を大事にまた場作りを楽しんでいきたいと思います。

  3. コメント

    絶対的な信が一円対話の求心力となる事を、昨日は体験させていただきました。場づくりには、信の塊があればある程に力を持つのだと昨日の炭でも体験させていただきました。気付きゃ思いやりが、形に現れてくるような文化、場づくりを大切にして行きたいと思います。

  4. コメント

    場のチカラというものは周りと共に生きるという意識があって初めて活きてくるもののように思います。まだまだわかりませんが、今後の研修のテーマとして、それが何であるかを掴んでいきたいと思います。

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