子どもに重きをおいて物事を突き詰めていくと、何が最も大切なことで何を譲ることが自分たちが紡いでいくことかは自明してくるものです。現在は経済成長だけが優先され、目先の損得ばかりで様々なことを決めていく時代とも言えます。
ニュースをみていても、中国との貿易をはじめ海外で発生している様々な法案や交渉もすべて経済を優先するためにその場しのぎの決定で後にツケを回すようにしているものです。
先日、オリンピックのエンブレム問題がありましたが子どもに遺したいいい仕事かという物差しなどはなく、それぞれの利権を優先するばかりで果たしてこれが仕事なのかと感じることばかりです。
本来の仕事は、後に追いかけてくる子どもたちのためにあるとも言えます。自分がどんな仕事を遺しているか、そこには先人としてどんな仕事をしてきたかがあります。実際に日本の建築物をはじめ、意匠を観ると、誇らしい先人たちの真心と誠実な心の籠った仕事を発見することができます。
決して粗末にせず、手を抜かずに、後のものたちのためにと必死に全身全霊を籠めたものであることに気づきます。それは信仰の場にいっても、そこにある仏像や刻まれた文字には祈りや心が籠っています。
今では仏像一つ機械で簡単に作れて、大量に生産して、それをたくさん販売しますがそんなものが子々孫々へと残っていくことはないように思います。
仕事がなぜ愉しいのか、それは後の人たちに見てもらえるからです。自分の遺してきた仕事が、のちのちまでお客様によって語り継がれることほど有難いことはありません。
あの時、真摯に助けてくださったとか、あの時、本当に大事な分かれ道だったとか、また何よりもその人の大切にする理想を諦めずに信じてくださったとか、見守られたことはいつの日までもずっと語り継がれていくものです。人は、丹精と丹念で手間暇かけた分、そして苦労を懸けた分だけが真心が籠る豊かで一期一会の愉しい仕事になります。
仕事は決して単なる作業や業務でもなく、その本質は「誇りと生き方」であるとも言えます。仕事に誇りを持てる人は、理念や大義を実践する働き方ができる人です。
子ども達に譲っていく未来を願い、本来あるべき姿を忘れずに愉しい仕事、愉しい会社にしていきたいと思います。
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先人が私たちに遺してくれている仕事をみると、「自分もそういう仕事がしたいものだ」と思います。丹精を込め、丹念に仕上げられている仕事から、時間を超え時代を超えて、先人の生き様がしっかり伝わってきます。たとえ、遺らない仕事であっても、歴史を背負いながら、「誇り」を持って、一つひとつ丁寧に向き合っていきたいものです。
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「楽しく働く」これまでどうも腹落ちしていませんでしたが、最近このことが大事だと感じるようになりました。それは、一緒に体験をする中で思うようになったのだと思いますが、心の充足感を指す「愉しい」のことだったことを今改めて知りました。子どもたちにこの仕事すごいな、と後から見られても誇れるような仕事をすることは憧れでもあります。自分の子も預けたい!そう思えるような園創りを一園でも多くしていきたいと思います。
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「子どもの憧れる生き方」とは何だろうかと考えた時、その子の中に「私もこうありたい!」という志が立つようなものがそれのように思えます。大本は熱のようなものであり、その循環は経済よりも遙かに大切なことだと思います。先月の致知のテーマは「先哲遺訓」でしたが、書では決して伝わらないものを自分達を通して伝えていく必要があるのだと感じます。一歩一歩、方向を誤らずに進んで行きたいと思います。
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仕事も人生も愉しいと感じるようになったのは、子どもに軸足を置いて、自分自身を変えると、生き方を定めてからです。思い通りには行かず、好きなものは手放し、自我に苦しみ、と散々なように見えますが、思った以上の出来事が起き続け、好きだったものよりも大切なものが手に入り、自我を段々と気にせずに生きられる、そんな人生の入口に入った感覚は、安心感と大きな見守りを感じます。毎度、身を天に委ねたいと思います。