清富の働き方

今の時代は豊かさの中で心が貧しくなってきていると感じることが多いと言います。それは暮らしの中にも観えてきます。住まいにおいても単に寝れればいいとし、食べ物においてもお腹が満たせればいい、その他、服装も同じ制服であればいいというようにそのものを愉しむよりもビジネスや消費に不必要なものはいらないような生活スタイルが広がっています。

その中で人は次第に幸福感というものが薄れているように思います。お金は膨大にあっても貧しい人もいれば、お金がそんなになくても豊かな人がいます。これは生き方や心の持ち方、その人の人格や徳なども関係し、昔なら清貧といって慎ましく暮らしていた人が美しいとされていますが今の時代は清富といって物があっても豊かである人が清々しいように感じます。

イエローハットの鍵山秀三郎さんは、掃除道で有名ですがその発言の節々には非常な謙虚さを感じます。この清富の考え方について参考になるところがあり紹介します。

「トルストイの「戦争と平和」の一節に「いっさいの不幸せは不足から生ずるものではない。あり余るところから生ずるのだ」とあります。これはまさしく日本人の現状ではないでしょうか。だからといって、豊かさを捨てて貧乏になるということは、現実には不可能です。ですから豊かさを保ったままで謙虚になる道を探っていかなければなりません。

そのためには、自分の体や手足を使って実践を重ねることが、いちばんだと思います。自分の体を使った実践によって、私たちは人の労働を正しく評価できるようになります。実践していない人には、他人の労働は自然現象のように見えるらしく、正しい評価ができません。

たとえば、社員たちが職場をゴミだらけにして退社した後、深夜に清掃会社の人たちが来て掃除をします。翌朝、社員が出社したときには塵ひとつ落ちていないきれいな職場に戻っています。社員たちには、それがあたりまえの天然現象のように見えてしまうのです。そうした環境のもとで、人間はいとも簡単に傲慢になります。」(幸福への原点回帰)文屋

今の時代は、自分の手足や労働の汗をかかずに働くことばかりが働くことだと勘違いしています。頭でっかちにやっているばかりで、心も体も用いた労働ができないから感覚がおかしくなってきます。

本来、身のまわりに在るものすべては誰かの御蔭様で存在しているものです。それを感じるチカラというのは、自分も同じように取り組んで働いてみて実感するものです。それを私は「実践」といいます。心も体も用いて誰かの御役に立つために働いていこうとする生き方と働き方が一致した具体的行動こそ「実践」です。

その実践を怠り、頭と心を分けたり、仕事とプライベートを分けたりしていたら 実践することができなります。そして人が実践を怠るとき、傲慢になっていくように思います。実践はとても謙虚なもので、「させていただく」ものが実践です。自分が誰かの御役にたっている実感もまた実践をすることで感じるものです。

そしてこの実践をする人のことを「実践人」とし、この実践人こそが「清」つまりは清らかで清々しい本物の志事(仕事)に通じているように私には思います。だからこそ清掃もまた人が清らか=幸福になっていくということのように思います。

原点回帰というのは、本来の姿はどうだったかを思い出すということです。カグヤは実践が多い会社ですが、実践が多いというのはそれだけ清浄にしていくということでもあります。日々に清浄であることは、日々に正しく労働の価値を再認識していくということです。

世の中の流れに流されないように理念や初心に助けていただいていることを忘れず子どもたちのモデルになる様に、感謝のままに実践をさせていただきたいと思います。

  1. コメント

    「差し出そう」とすると、「既に与えていただいていること」に気づきます。「応援しよう」として、多くの人に支えてもらっていること」に気づきます。「あとは祈るしかない」と思ったとき、「陰で祈っていただいていたこと」に気づきます。こうして気づくからこそ、「有り難く受け入れること」「素直に受け取ること」ができ、また、報恩させていただくことに繋げられます。この「気づける力」を磨き、「受け取る力」を高め続けられる人こそ、ほんとうに豊かな人なのではないでしょうか。

  2. コメント

    ここ最近を振り返ると、豊かだなと実感するシーンがいくつも思い浮かびます。それは生活そのもので、こんなのいいな、と思い描いていたものを仲間と味わえたからのように感じます。身体を動かすとクタクタになりますが、心は喜びます。心がクタクタだったら、身体はきっと動かないと思いますが、その事を何より感じていることです。実践の分だけ心が豊かになる、本当に有り難いことです。一つひとつ大事に実践を積んでいきたいと思います。

  3. コメント

    会社の仕事も商品も普通は説明出来ればよいものかもしれませんが、やはり知識を知っている人よりも、実践している人には敵いません。人生をちゃんと生きるには愚直なまでに実践することだと感じます。分かったところで、役に立たない経験をずっとしてきましたが、その意味も実践して感じるまでは、まるで分かりませんでした。1日の生活の中でいかに実践として味わうかは楽しみの一つです。今日もまた、一つ実践を味わっていきたいと思います。

  4. コメント

    点塾での「教えない教育」の体験から、ここ最近は『習得と体得』の違いを自分なりに意識するようになりました。例え深夜に「清掃会社の人たちが来て掃除をしている」と聞いたとしても、知るだけでは何も変わらない。学びとは感じること、感覚が残ること。自分で掃除をして感じるからこそ、その御蔭様が観えるようになるのだと思います。当たり前のことですが、そのシンプルさが無くなって来ているように感じます。見守る事が出来るよう、見守られている事を常に感じていきたいと思います。

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