自由という場

自由の森の学園祭に参加し、子どもたちのイベントの様子を見ていると自由の入口にいてこれからどのような道を歩んでいくのだろうかと未来に思いを馳せます。見守る保育も同じように子どもの成長を見守り続ける保育ですから将来、あの子どもたちがどのように自らを磨き育ち充実した仕合わせの人生を送るのだろうかと見守っています。

子ども達はそこで一つ一つの大切な人生の智慧や哲学、そして生きるチカラを得ては卒業し自分の人生の道を歩み続けていきます。子どもを信じて見守ることで子どもはどの時代でも自分らしく生きていこうとする道に出会うように思います。そんな時、様々なことを考え、本当の仲間に出会い、美しい思い出を育んでいくのでしょう。

学問の素晴らしさとは、学習する面白さを体験することです。面白い方を選んでいき、愉しいと感じる方を選ぶのは決して楽をすることを覚えることではなく苦しい方を選んでも自分らしくいることを優先する生き方のことです。

今の時代は、競争する仕組みの中で無理やりに勉強をさせる時代ですから楽を選ぶこと良いことだとさえ思われています。しかしもしも競争する仕組みがないのなら、周りは敵やライバルではなく自分を磨き合う「仲間」ですから御互いから学び合い、「助け合う」ことの本義を学習していくことができます。今の時代の「自由」は誰かの教育の刷り込みを取り払う一つの智慧でもあります。

本来、人間は助け合いといった共生とそして貢献を学ぶために学場は有ります。そしてそれはどの学場を卒業してもスケールを拡げて別の学場でまた助け合いと生き切ることを学び続けます。今の自分があるのは、先祖代々の御蔭様であり、多くの人たちがその時代を生き抜いて仕合わせであれたのも人々の御蔭様に由ってです。それを自覚し自分をどうやりきっていくかが学場で学ぶテーマであり、そしてルールです。

本来の教育の価値は、確かに「自由という場」の中でこそ発揮されていくものです。なぜならその時その時をどうやりきって今を生き切るかは常に自分次第であり、正解がない中で人生を歩んでいくのが子ども達ですから安易な正解を教えるよりも、必死に自らの魂を高め磨き続ける周囲の大人の実践と歴史が何よりのお手本になっていきます。

自由に伴う責任は常に自分次第ですから言い訳も何もなく、与えられる御縁を信じて「唯今を遣り切る」ことのみです。遣りきるというのはなんだかちょっと硬い言い方ですが、よりよく言い換えれば「人生はお祭りだ」ということでしょう。人生は自分次第、真に苦楽を楽しんだ者価値だということです。

子ども第一義の理念がこれからどうなっていくのか、長いスパンでこれから先の時代の子ども達を引き続き見守っていきたいと思います。

  1. コメント

    進路を決める、それは一大決心であり、不安と希望とが折り重なる時期が高校時代のように振り返ると感じます。自分がどうしたいかもそうですが、周囲の友人たちはこれからどうするのかが気になり、今がずっと続いたらいいなとそんなことを願っていたのを思い出しました。自由の入口、とてもいい響きです。自分は部活一筋、だからこそ今の仲間がいることを感じます。そして、高校の思い出のほとんどが部活です。他の選択肢もあったのかもしれませんが、ただただ思うのは遣り切ったの一言です。高校3年間の経験はその後の人生に大きく影響を与える時期で、その価値は時間以上で計り知れません。
    日々過ぎていくこの瞬間を味わい、楽しく学んでいきたいと思います。

  2. コメント

    「場」には、自ずと、「その場」特有のルールがあります。「何が許され、何を評価されるか」というようなことです。それが、「その場」の環境となり、「こころの開放度」を決めるのでしょう。ただ、なかには、どこにいても、「自分で自分を縛っている人」もいます。「自由の場にいても、不自由に生きる」のでは、自分らしく生きられません。「場」には、こころの鍵を開ける「魅力」が必要です。それには、そこに生きた先輩たちの生き様のなかに、自分の未来が想像できるような安心感が必要なのではないでしょうか。

  3. コメント

    自分自身の高校時代を振り返ると、必要な課題プリントさえやってFAXすれば、学校に行くのは月に数回という学校でしたが、すると生徒同士の結びつきはほとんどなくなり、私を含めてそれぞれが感じていたのは「孤独感」でした。その孤独感を埋めるために、部活を作り、逢う回数を増やしていったことを思い出しました。何をやってもいい場があっても、自由を扱えるモデルとなる生徒との邂逅が持てず、いつも自分たちなりに自由を獲得していくという日々でした。その経験も、普通の高校では出来なかったことなので、刺激的で学びになりましたが、今振り返ると、生徒同士が日々触れ合える場での「自由」と月に数度の触れ合いの中での「自由」にはまた意味合いが違ってくるのだと感じました。日々人と人が触れ合える場があることの大切さを今日も感じながら過ごしていきたいと思います。

  4. コメント

    週末にとある出来事があり夫婦間でイライラとしそうになった時、子どもが無邪気に発してくれた「でも○○だから、ついてるじゃん!」の言葉でハッとさせられ、一気にその場がおさまりました。原因が何だとかではなく、今ある方をみて善い言葉がけをすることが如何に大切なのかを子どもの姿から気づかせてもらいました。頭でそういう言葉を発しよう、ではなく、もともと感覚がそっちだからその言葉が出ただけなのかと思うと、競争ではなく共生というのも子どもには自然にそなわっている感覚のように思えます。無理に教えず邪魔をせず自分の方が学んでいきたいと思います。

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