年末の「復古創新」の理念研修を迎えるにあたり、温故知新の妙を深めています。古いものを新生し、新たな役割を担っていただきます。永く誰かの御役にたったものや、ずっと誰かに愛されてきたものを感じると心が安らぎます。
先日、十日市町の100年古民家を訪問したときに「思い出」について考える機会がありました。それは古民家再生を手がけるドイツ人建築家カールベンクスさんのHPを知り、そのプロフィールに共感することが記されていたからです。
「『古い家のない町は、思い出のない人と同じです』とは、東山魁夷がわたしにくれた言葉。古い=価値がないのではありません。古いものは、歴史や思いがつまった、単なる”モノ”以上のものなのです。使い捨て、大量消費の文化とともに、日本人はモノを大切にすることを忘れつつあるのかもしれません。この世界に誇れる文化の現状は私にとって残念で悲しいものです。」
今は、大量消費の使い捨て文化の中で新しいものがさも価値があるように宣伝して古いものを捨てていきます。しかし実際は古いものの中には思い出がたくさん詰まっています。物だけではなく人も同じく、「一緒に生きた仲間たち」があって「暮らし」は成り立っているからです。それを何を間違ったか、自分のことだけを心配し、自分の利益ばかりを優先し、自分勝手に我儘ばかりが使い捨て文化の中で助長していくと古いものは邪魔だとさえ考えるようになるようです。
本来、古いものというのは利他に生きた生き方が沢山そのものに詰まっています。それは徳とも言ってもいいかもしれません。物は単なる具ではないからこそ、日本人は具に道をあてて「道具」と呼びました。
物を大切にする「もったいない」という文化は、そこに一緒にお役立ちした仲間たちとの暮らしを何よりも重んじていたから発生した文化ではないでしょうか。
永いもの、古いものは其処にあるだけで心が安心します。
心が安心に落ち着く場所こそ、「思い出の場所」なのです。
大量消費、使い捨てで「思い出」までも捨てていくというのはいかがなものかと思います。それだけ情報化社会の中で、スピードばかりが重視されていますが新しいものばかりに囲まれた生活は果たして仕合わせだと言えるでしょうか。
時間をかけて味わっていく仕合わせというものが「御縁」というものです。
御縁をどのように活かしていくかは、その人の生き方ですから天から頂いたもの、我が家に来ていただいたもの、自分を探し当ててくださったもの、一緒にいたいと思ったもの、そういう一つ一つを大切にする生き方が人間を孤独から遠ざけ、「豊かな暮らし」を与えてくれるのではないかと直感します。心のふるさとは、もったいない暮らしの中に存在するものかもしれません。
まだ実践して間もないのですが、この「心落ち着く」古き善きものに囲まれる暮らしは穏やかな気持ちを与えてくれます。現代に失っていく心を、もう一度暮らしの民具を含め、様々な道具から学び直し、子ども達に伝承していきたいと思います。
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「あらゆるものは、生かされるところに集まる」と言われます。人が選んでいるようであり、実は、「モノ」に選ばれているのかもしれません。勝手に、人間主体、自分主体に「モノ」をとらえますが、これを「モノを主人公に」考えてみると、「モノ」には人間がしっかり見えているかもしれません。「モノ」の使い方、扱い方には、その人の性格や人間性が出ます。「愛着」という言葉がありますが、そこにも自分を知るヒントがありそうです。
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カールベンクスさんのHPを読んでいると、考えさせられることが沢山あります。青い目をした侍、と言う言い方を聞いたことがありますが、日本人以上に日本のよさを知り、大事にしてくれることは本当にありがたいことです。古民家で感じたあの居心地のよさと静かに過ごす贅沢さ、普段の生活では考えられないものです。感覚的にいいな、と思うその心を大事にしていきたいと思います。
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心を入れる、心を籠める、心に寄り添う、などと言いますが、これもまた上辺だけを取り繕うことなど出来るはずもなく、その人の日々の暮らしがそのまま表れるものとして自分を省みるとハッとさせられるものがあります。暮らしを見直すとは、在りたい姿に近づくための自身への環境設定のようにも感じます。なぜ今、暮らしがテーマになっているのか、それがどこに繋がっているのか。実践しながら捉えていきたいと思います。
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生き方と働き方の一致を目指す時、暮らしを優先や、仕事を優先など偏った自分が居ないか、よく見ていきたいと思います。どのご縁も時間をかけた大切な思い出。分けない実践を大切にしていきたいと思います。