善い失敗~主人~

人は学び方にその人の生き方が出てくるものです。どのような学び方を学ぶかは、本来何よりも大切であるにも関わらず学び方を学ぶことについては気づいていないことが多い様に思います。なぜ学び方が大切なのかは、それが一生の学問の姿勢を左右するからです。付け焼刃の教育ではない、本物の教育とは何か、そこには主人公であり主体性があり、積極性、能動的に学ぶ本人の学問への取り組み方というものがあります。

よく昔の一子相伝の技術の伝承や、先人たちからの智慧の学び方には「好きこそものの上手なれ」があります。好きになること、仕事を愛することが何よりも上達のコツであるということを、師は弟子にあらゆる姿を見せることで伝えたりします。これも一つの学び方を学ぶということです。

しかし、今、学び方の問題があるのは失敗することを恐れ何もしないことが失敗しないことだと勘違いした学び方をした人たちがそのことから学問を愉しめないようになっているのではないかと私は思います。

本来、失敗があることが悪いことではなく失敗したことからなにを学んだかということが学び方を学ぶということです。失敗しないために学ぶというのは、言い換えれば相手に合わせていればいい、問題を起こさなければいいという受け身の姿勢です。こんなことでは学んでいないだけではなく、学問は問題を起こさないために行うものだという消極的な姿勢が身に付いてしまいます。そうなると、自分のやっている仕事に誇りを持つのではなく保身からくるプライドを優先し、学んでも学ばない、つまりは学び直しをすることもできなくなります。

失敗するのは、その人が自分から取り組み学んでいるからです。ことわざにも「失敗は成功の母」「誰よりも早く、多く失敗しなさい」や「1%の成功は99%の失敗の積み重ね」などもあります。失敗するというのは、本気でやっているからです。本気でなければ失敗を恐れて誤魔化そうとしますが、本気の人は失敗を隠すことなくそこから学んで改善し失敗を糧に自分を成長させて成功するのです。それが素直さであろうと思います。

人は正解を教えることによって失敗をしなくなります。しかし、絶対的な正解などこの世の中には存在せず、その場その人によって無数の正解が存在するのです。自分が挑戦して自分自身の答えを探し求めていくのが人生ですからそれぞれに失敗を積み重ねて自分の人生と正対しその時々の答えを深めてもぎとっていくしかないように私は思います。

もっとも残念なことは、教育の刷り込みによって人の目を気にして失敗を恐れて何もやらない方を選択する人になってしまうことです。人生に本気だったかは、どれだけ積極的に取り組んだかということです。そこには数々の失敗、時には周りからの中傷も批判も、また時として軽蔑などもあるかもしれません。しかし最期まで諦めなければ必ずその人は認められることになるように思います。それは歴史が証明しています。

受け身と能動という言い方もあり、世間ではアクティブラーニングなども流行っていますがそれはテクニックではないと私は思います。能動的学びは生き方ですから、失敗は善いもの、善い失敗を進んでやれる考え方や学び方から大人自らが実践していくことで子どもたちもまた学問の真の愉しみに気付くように思います。

生まれてきて一生に一度の人生を謳歌できるようにすべてのいのちが天から与えられています。その主人は常に自分ですから日々は挑戦する機会だとし一期一会に自分を盡すこと、遣りきっていくことで得られる学問の醍醐味を実践によって深めていきたいと思います。

  1. コメント

    これまでも幾度となく失敗を繰り返してきましたが、その経験が今に活きていることを感じます。準備一つを取っても、何が必要でどうしたらいいか、先に考えられる余裕の分が失敗から学んだことなのだと感じています。そう感じるからこそ新たに思うこともあります。見守る保育を拡げ深めていく、その一翼を担っていることを忘れず、自分自身の在り方を見直したいと思います。

  2. コメント

    「失敗を恐れる」傾向の強い人の中には、「成功すること」よりも、ひたすら「失敗しないこと」を望み、「失敗さえしなければいい」という価値観の人がいます。この感覚は、過去の「評価」、特に「親の評価基準」に影響を受けていることが多いようです。親の価値観は、その子どもがいくつになっても影響力を持っています。「いったい、自分は、何を恐れているのか?!」「それは、ほんとうに自分の望む価値観か?!」そこを確認しておく必要があるのではないでしょうか。

  3. コメント

    分からないとやらないという行動が自分の中にないだろうかと問い続けることを大切にしたいと思います。頭で理解できないとしないという習慣は失敗を怖がることにつながり、軸足を自分に置くことにつながります。心のままに動き、理解も行動も心もどれも一緒になって必死になって動くことが大事なのだと感じます。サボらず、楽を求めず、苦中楽ありの意味を味わっていきたいと思います。

  4. コメント

    熱意や本気というものは、言葉や理屈では何となく分かるようですが、実際にはよく分からず、それは頭で分かるものでもなく誰かから教えてもらえるものでもないのだと思います。仕事を愛すること、仕事を通して出逢った人を大好きになること、その姿は心の中に強く残りました。何かわからなくなった時は、感じたものから挑戦して失敗して学んでいくということを大事にしていきたいと思います。

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