星の王子様という小説絵本があります。昔、とても好きで何度も読んだことがありますが改めて読み直すと作者の親友への思いが伝わってきて仕合わせな気持ちになります。その親友は心の友であり、その人の子ども心のことです。そして子ども心とは、子どもだったころの心です。
星の王子様の中でも、「大人は子どもだったことを忘れている」という内容の箇所があります。大人になるということがどういうことか、そしてかつては大人はみんな子どもだったということが何を意味するか、そういうことを心に語り掛けてきます。
子どもというのは、大人のいうところの無意味な時間を沢山持つものです。こんなことをして何になるのといった大人の都合はほとんど子どもには無意味です。この意味があることと意味がないことの間に、子ども心があることに気づきます。
私自身も子ども心は何かと聞かれれば、好奇心とは言いますが好奇とは何かということです。不思議なことに満ちていることを感じるチカラともいい、英語ではセンスオブワンダーとも言いました。実際は、心は時間を超越したところにあり、心が”懸けた”ところに常に心はあります。
だからこそ遠回りしたり道草をしたり、遊びこんだり暇を持て余したり、そんな中にこそ子ども心は生きています。子ども心を見失うというのは、時間に追われ日々を忙しくして初心を忘れてしまうことを言います。
大人になっても子ども心を失わないでいるためには信念が必要です。信念をもって本質を守り、周りに流されずに自分自身主人公で居続けることで子ども心は忘れられることはありません。
子ども心を忘れることがもしも大人になることであれば、大人になることは心を捨て去ることだという定義になるかもしれません。しかし大人になることが子ども心を忘れないでいることであるのなら、その大人は自分らしくとても立派な生き方をする人物になったということになるのかもしれません。
信念に生きるというのは、心を忘れず心がけを実践するということです。
どんな時代でどんな環境があったとしても、子ども心を守りたいと願うのなら子ども心のままに生きて子どもたちが元気づくようにしてあげたいと思います。子どもが子どもらしくいられる環境というのは、子ども心をみんなが忘れていない環境のことです。
それだけの心の余裕、それだけの心の豊かさを優先してみんなが天命のままに心安らかに暮らしていける福世かな世界になったということでもあります。
「大切なことは目には見えないし心で読まなければわからない、そして子どもは初心のままの姿、心はあるがままの無心、大切なことは日々の心がけです」
子どものように心のままで生きていた時代があったことをいつまでも忘れないように本命本業としての”見守る”ことを現場に拡げていきたいと思います。
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子ども時代がもし必要なければ、生まれてすぐ大人にまで成長してもいいはずですがそうではありません。必要で大切な大人になるまでの準備期と思うと、自分に何ができるだろうと思います。ちょうど今、映画で星の王子様が上映されています。子どもの頃に読んだ物語の続きを描いていく、そんな遊び心を大事にしていきたいと思います。
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「子ども心」は、「幼い」のではなく、限りなく「純粋」です。大人は、自分が本来の純粋さを失ったために、その「純粋さ」を測るモノサシをなくしてしまったのではないでしょうか。大人に、「有用さ」や「意義」を問われ、その「理屈」が通用しなくて諦めてきたことがたくさんありますが、実は、「熱意」よりも「夢に純粋さが足りなかった」のかもしれません。「無我」という言葉の境地がほんの少しわかりかけて、「純粋であることの真実」が見えてきた感じがします。
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子どもの頃の記憶や感覚はほとんどわすれてしまっていて、子どもと関わる中で時おり懐かしさと共に思い出すことがあるのが現実です。微かに心が動いた瞬間に試してみようと敢えてするのが大事なように思います。そういった意味では「すぐやる」というのは子ども心を維持するための一つの工夫なのかもしれないと感じます。
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丁度昨日、面白い絵本に出会い、買って帰ると子ども達が絵本の世界に熱中している姿を見ました。絵本の世界に自分を重ね、体験を重ね、分からないことはなぜ?!と、ワクワクし、何故!?と聴いてきます。
その1つ1つに、感動やワクワク、喜びが含まれていることが素敵です。その感性を自分自身も大切にして行きたいと思います。