今ではほとんどが西洋文化によって住環境が変化してかつての暮らしから離れていますが、私たちの先祖たちが育んだ智慧はまだ完全に消失してはいないものです。囲炉裏一つ深めてみても、あらゆるところに先祖たちの真心を感じます。
この囲炉裏の文化は、使ってみることでより理解が深まるものです。
例えば、料理をしていると煮込み、焼き、燻製、炒め、あらゆるものが炭火によって可能です。西洋の暖炉は火加減ができませんからグリルが中心になりますが囲炉裏は小さな火も加減できますからじっくりと食材に合わせて調整することができます。
西洋の暖炉は薪を多く使うため灰もでますし煙突も煤で汚れて掃除が大変ですが、その点囲炉裏は薪を使う量が少なく済みますから掃除もあまりいりませんし森林のことまで配慮した使い方ができます。
西洋では薪をあまりにも多く使うため、その分、森林破壊が進んだといいます。ドイツでは森林が維持できるように森を維持するためにあらゆる工夫や自分たちの暮らしが森林破壊で酷い目にあったことを忘れないためにも森林維持にはとても気を使っています。
その点、日本では囲炉裏文化の御蔭で森林も破壊せず自然と共生し持続可能な状態を維持してきましたからあまり森林破壊については意識することもなくなっています。むしろ、建築様式が変る前の住宅用の木材としての杉を森へ植え続けたことで森の形が不自然に変わってしまったことの弊害の方が問題になっています。
そして西洋と異なり私たちの文化で発展したものは炭です。炭は日本の国土、囲炉裏と深い関係があります。今では電気ストーブ、電気こたつ、電気空調があたりまえですがかつては炭によって私たちは寒さや湿度を調整していました。
一年中、炭によって住環境を自然と調和するように維持し、一年中、過ごしやすい住環境を確保してきたとも言えます。その炭の灰には、虫を近づけず、腐敗菌やカビなどの発生を抑制する効果もあり、また麹菌を元気づけ発酵を促進する効果もあります。不思議なことですが、特別に麹菌は炭や灰との相性が抜群に善いのです。酒蔵に炭があるのも、味噌や漬物が灰と相性がいいのもまたこの炭のチカラがあるからです。当然、人間にとってもこの炭と灰は健康維持には欠かせず、囲炉裏の生活をはじめると稲の文化と同じように永い間一緒に暮らしてきたパートナーの一つであった証拠をあちこちに感じます。
炭は「澄み」の韻をふんでいますが炭を身近に置くことは心身の浄化を促進し、より一層、真心や精神を磨く効果があるのかもしれません。この魂の「澄の文化」は私たちは炭から学んだのかもしれません
子ども達が日本とは何かと思い出させなくなるほどに今は西洋文化によって日本の文化が上塗りされていっています。住環境においてはほとんどもうかつての日本の暮らしの様子が消えています。しかし、私たちが誇りにし子孫が自信を持つものは常に日本の先祖たちがどのような暮らしや生き方を身近に置いてあげることです。
親がどのように生きてきたかを子どもたちは忠実に参考にして自分のものにしていくことこそが文化の源泉です。日本文化を次世代へと継承するには子ども第一義の理念においてとても重要なことです。
私たちは国際の中にいる日本人です。世界に出ていく前に自分の先祖の文化を深めずに世界で何の役割を果たせるというのでしょうか。先祖たちが永い時間を懸けて積み上げてきた日本人としての生き方こそがこれからの世界には必要なのです。引き続き、身近な道具を見直し、日本の真心を見つめ直していきたいと思います。
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「衣食住」の多くのものが、西洋文化によって変化し、暮らしから消えつつあります。しかし、私たちが知らないだけで、いろんなところに残っている日本文化も、まだまだたくさんあります。例えば、コーヒーや紅茶のカップには持ち手がついていますが、日本茶の湯のみにはついていません。それは、「手で持てる程度の熱さのお茶がもっとも美味しい飲み頃である」ということを知らせるためである、と聞きました。こういう「日本人の、人に対する温かい智慧、優しい思いやりの仕組み」をもっともっと知りたい、知らないといけないと感じています。
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新潟研修の際宿泊した古民家を手がけたカール ベンクスさんを取材したTVが再放送されていて、たまたまそれを観ました。ベルリンの壁を乗り越え一人家族と離れ学んだこと、そして日本での留学などその生い立ちに熱いものを感じました。カールさんのことをTVで「日本人以上に日本人、外国人から日本のことを教わっている」と言っていました。物事をしっかり見つめるその大事さを一度の体験で終わらせず、深めていきたいと思います。
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西洋文化によって本来の姿を見失ってしまった日本は、まるで刷り込みによって本来の自分を見失ってしまった人のようです。それでも、どんなに自分たちが忘れようとも日本人としてこの地に生まれたというご縁は決して切れることなく、こうして大切なことに気づかせて下さっているのだと感じます。信じられていること、見守られていることを忘れずに本来の自分達が何であるのかを探っていきたいと思います。
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今日は包丁研ぎの為の研ぎ台を自作してみました。
昔の記憶を呼び覚ましてみると、父親が包丁を研いでいる時に、何か木の板のようなものを使っていたような記憶があり、検索で探してみると、似たようなものが沢山ありました。100円の端木を使ってたった数分の制作でしたが、父からの智慧を受け継げたような感覚がとても嬉しく、そして、それを手伝ってくれた子ども達にもいつかこの記憶を思い出してくれたらという想いでいっぱいでした。道具を大切にする文化をもっともっと、自分自身で味わい深めていきたいと思います。