朝起きて囲炉裏に炭をおこすと再び炭に火が入り澄んだ紅色に染まります。その炭は呼吸をしているのが分かり、まるで心臓の鼓動のように波打ちます。そして次第に消えていき、最期は灰になります。
これは私たちのいのちにも似ています。
自然万物は呼吸をすることで生きています。呼吸とは、空気を吐いて吸うことですがこの空気とは単に今の科学で分析されている酸素のことではありません。私が思う空気は、酸素ではなく宇宙の中にあるダークマター、まだ解明されていませんが「いのちの気」のようなものです。
そういうものを万物はいのちを通して呼吸します。炭でいうのなら、紅色に染まっていく過程の中でたくさんの空気を呼吸して燃えていきます。これはいのちや魂で例えるのなら、呼吸をすることで常に気を通しいのちや魂を燃やしていきます。そして人によりますが、途中で燻って炭のままに終えるものもあれば最期まで燃えきって灰になるものもあります。
これは囲炉裏で息を吹きかけて燃やし続けるように、日々に呼吸をし燃やし続けなければ燃え切ることもないのです。いのちや魂が燃え切れば、灰になりそこから復活がはじまります。途中で炭のままに火が消えれば、また新たな火を誰かにつけてもらうかでなければ火は入りません。
自分の火を自分で燃やすのは呼吸することです。太陽系の地球をはじめいのちや魂が冷めないのは呼吸をするからです。呼吸は自らが吐出すこと、そして吸込むことで行われます。
自らが発していると自らに入ってくるというのが呼吸の基本です。
常に燃え続けていくように呼吸を味わい、情熱を絶やさぬように火を容れながら燃え切っていきたいと思います。
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初めての葬儀は祖父でした。火葬場で最期の別れを告げ次に目にした時、人ってこうなるのだと衝撃を受けました。体が動く今、自分にできることは何だろうと模索する日々です。周囲の実践に勇気を頂くばかりですが、その灯火に誰かがまたホッと安心できる灯りとなれるよう、精進したいと思います。
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呼吸さえしていれば、命はあります。しかし、実際には、いろいろな呼吸があって、命の生かされ方は違います。人は、イライラすると呼吸が浅くなります。止めているわけではないので、命はありますが、呼吸が浅ければ、酸素が体内に行き渡らず、思考にも行動にも影響するものです。そういう意味からも、「呼吸を乱さない」ということが、思いの外大事です。また、しっかり吐ききらないことには、しっかり吸えません。「呼吸の質」を大事にしたいと思います。
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呼吸の乱れが、宇宙とのつながりを乱すのであれば、実践のタイミングの乱れは、そのまま現実につながるのだと今日の朝の木鶏で激励を頂いたのだと感じます。
日々の実践の時間の乱れを整えていくところから、呼吸を整えていきたいと思います。
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昔の人は囲炉裏の火を見て何を考えていたのでしょうか。茶室と同じく、そこは心の構えを解き平穏を取り戻す贅沢な時間だったようにも思います。先日の古民家で感じた感覚はまさにそれでした。蛍光灯の明かりや電気ストーブの温かさでは決して感じられない「いのちあるもの」という感覚が囲炉裏の炭火にはありました。そういった意味でも、呼吸が感じられる炭火は共に暮らしてゆく仲間なのかもしれません。