先日、私のメンターの先生と10年目のテーマを確認する機会がありました。もう毎年毎年、この時期にテーマについてご挨拶をしテーマを共有し一年を振り返り10年にもなりました。
自信というものは決して結果に対してつくものではなく、自分の決心したことを実践してやり遂げる中で自ずからが信が積み上がっていくものです。私にとってはこれだけの期間に色々なことが起きながらも自分の信じた初心を貫くことができた御蔭様に心から感謝ともに自分に対する信頼にもなりました。
徳の高い先生と、道を一緒に同行できることは何よりも人生の仕合せです。
人は徳が磨かれ人格が高まれば高まるほどに道ができます。なぜならその徳に人が慕って集まってくるからです。私の尊敬するそのメンターの先生も、この10年以上御傍でご一緒していく中で多くの人たちが集まってきました。今でも全国各地から、いや世界からその人望を慕って人は集まってきます。不思議なことですが、自分が外に追い求めていかなくても自らが実践に由り思いやりや真心、その仁の姿を示すなら道中の同志たちが集まってくるように思うのです。
「桃李(とうり)もの言わざれども下(した)自(おのずか)ら蹊(みち)を成す」
これは中国の司馬遷、「史記」にある故事です。桃やすももは何も言わないが、花や実を慕って人が多く集まるので、その下には自然に道ができる。つまり徳望のある人のもとへは人が自然に集まることのたとえで使われます。
自らを研鑽し、自らの徳を高めることで道は自然に姿かたちを顕現させます。
有難いことに、道中の中で物言わぬ道が何よりも学びを深めてくれます。人に出会うことは徳に出会う事であり、徳を学ぶことは道を歩むことです。
その人物の価値というものは、どのような生き方をしたか、そしてどのような生き様であったかということに尽きるように思います。そしてそれはその人の徳が顕すものです。如何に日々を生きるかが、生き様ですから一日一生と日々に初心を生き続けることが本来の人生を生き切ったということでしょう。
子ども達や次世代のために、今を焦らず弛まず己に打ち克ち、「桃李不言下自成蹊」と実践していきたいと思います。
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人知れず実践を続けることで花や実をつけ道になる。「桃李不言下自成蹊」文字通りの姿に言葉がありません。その道に出会った一人として、また実践していきたいと思います。
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人は人を求め、必ず、人に辿り着きます。江戸時代も人を求めて、会うべき人が出逢い、その縁が影響力となって展開したようです。「徳は弧ならず、必ず隣有り」と言います。また、「徳」は独特の香りを放ち、蝶はそこに羽を休めると言います。「徳」のある人には大きな「安心感」があるものです。「伝える」のではなく「伝わる」魅力的な生き方を「桃李成蹊」に学びたいと思います。
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仲間の徳を見つけて表彰する実践も始めてはや一年が経過し、徳のある行いをすることも勿論ですが、周囲のそれを徳として観れること感じられることもまた一つの徳のように思えています。まだまだ徳というものがハッキリわかるわけでもなく感覚でしかありませんが、徳による繋がりを大切にしていきたいと思います。
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この一年を振り返ると、自分自身が今年も変化の年となり、またその変化を以前より楽しめるようになったと感じます。それは、周りの方々が見せて下さる生き様、生き方のお陰様です。どんどんと、道を歩む方々の生き方、生き様に触れさせて頂ける機会が増えていることが、今年の宝であり、来年、自分自身を磨く励みになります。真似るのはその人の生き様ではなく、その人が生き様にかける情熱やスケールを真似ていきたいと思います。