今の時代は知識が豊富になり、何でも解決方法をインターネットをはじめ本を読んですぐに活用することができます。しかし同時に、優先順位が求められている時代に入ったとも言えます。
例えば料理をする際、食べたいものを考えてレシピを検索します。そしてレシピをみたすぐにその通りに料理をすればある程度はおいしいものはすぐにできてしまいます。つまり頭で考えた通りに頭で近づけていくことができるとも言えます。その際、注意する必要があるのは先に心を優先してから頭を使っているかということです。
ここでは頭と心という言い方をしますが、頭でいいなと思ったことをやるのではなく、まず先に真心や思いやりを優先しその後にその具体的な方法として頭を使うという意味です。今の時代は知識が豊富になり便利になることで心は使わず頭だけでやっていることが増えたとも言えます。
便利か非効率かではなく、心を優先しているかどうかということが大事なことなのです。
心を入れずに頭で生きていくことは確かに便利です。面倒であればあるほど心のチカラは生きてきますが、簡単便利であればあるほど頭は動いていきます。電気一つスイッチを入れればすぐに暖房がついて暖かくなるのと、薪や炭で火をおこし暖めていくのでは時間も労力もまったく異なります。しかし前者は心は使わなくてもすぐにできてしまいますが、後者はそこまでしてやりたいかというくらい時間も労力もかかり不便なものです。
頭で考えていてもコツは掴めませんが、心を優先して頭を使うことでコツは身に着いていきます。そうして心を遣って行動することを優先し、それを知識で深めていくことができるようになってくると自然との向き合いが上手になってきます。
先ほどの暖房一つでも、スイッチ一つで暖めるのか、手間暇かけても火をおこし暖めるのでは実践していることが異なります。自然を相手に日々に取り組むことは心を高めて五感を磨くことと同じです。
これからは機械がより高度に発展し、ロボットや人工知能が人間の代わりに働きはじめる時代ですからなおさら感性を磨き、人間にしかない直感を研ぎ澄まし、人間力を高めていく必要があります。それが心を優先するということです。
心を優先する訓練というものは、自然を相手に暮らしていくことです。発酵を学んだり、御米や野菜を自然に育て、生き物たちを慈しみながら一緒に生きていくことや、生活の中で必要な道具をかつての親祖からの伝承を学び直し受け継いでいくことも心を優先する実践になります。
もちろん情報化社会ですから頭脳を磨くことも大切なので、新しいものの価値もまた身に着ける必要がありますがそれは心が優先しての話です。心が優先しない技術や知識というものは本当に危険極まりないものです。それは自然を相手にする危険とは異なり、まるで欲の化け物を相手にするような危険が伴います。
人類はどう自分に打ち克つかというのは歴史の教訓の中で何度も気づかされます。栄枯盛衰、どんな文明も必ず滅びました。それは心が優先されなくなって滅んでいくのが分かります。真心や思いやり、仁とも言いますが時代が変わって技術がいくら進んでも大切な優先順位は間違わないぞというその時代その時代の人たちの信念が未来を決めているのでしょう。
子ども達のためにも、何を優先して生きていけばいいか、今の大人たちが変われば子どもが変わり、子どもが変われば未来もまた変わるのですから常に自分自身に矢印を向けて実践を積み重ねていきたいと思います。
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TVを観ていたら、植松電機の植松さんが出ていました。以前、講演で「やりたいことをやってたらロケットが飛ばせるようになった」と話していましたが同じことを言っていました。先日の大森の町の人たちもでしたが、生き方を発信している人たちは心が強い、そう感じます。どちらも大事だからこそ優先すべきことを間違えないよう、実践を積んでいきたいと思います。
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「心が見失われたとき、文明が滅ぶ」というのは、ひとつの法則のようです。それは、人間としての真の目的を見失うからでしょう。頭は、「やり方」を考え出すのには必要ですが、それは「手段」です。「上手くやる」「早くやる」「効率よくやる」「安くやる」これらはすべて方法論であることを、いま一度確認しておく必要がありそうです。「目標」から入ることの危険性を知っておきたいと思います。
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一度頭で先に考え出してしまうと、その後に心を入れ直すのは難しいように感じます。そもそも心で感じたと思っていたことが実は頭で考えて理解したものだったというようなことさえありそうで、それぐらい頭優先で生きやすいのが今の世の中なのかもしれません。わかった気にならず、意識と行動を変えていきたいと思います。
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目の前に起きていることや、相手の状況などの「条件」を見れば、頭では最適な行動をはじき出すことが出来ますが、心に聴いてみると、心は「条件」に関係のないことを言っています。今日も、その心の声を聴かずに、頭で動いてしまいそうになりましたが、そんな時に有難いのは、一人ではないという事です。一緒に話し合ったり、共に大切にしたい存在や、思いがあることが、頭よりも心を優先しようという心の一歩を踏みやすくしてくれています。暮らしは一人では成り立たないように、心も一人では使う場所がないのだと教えて頂いているように思います。この一年は自分にとってのミマモリスト元年でした。来年は今年の延長ではありません。来年は来年の風が吹き、ご縁があります。その時々に最善を尽くし、自分の活かし方を学んでいきたいと思います。