昨年も本当の多くの方々の御蔭様と見守りをいただき無事に一年を過ごすことが出来ました。光に影が付き纏うように、常に自分が生きて周りに活かされていることが存在しています。私たちは一人では決して生きられず、生物非生物に至るまであらゆるものの存在の御力をいただきこの世に存続することができています。
このように当たり前の存在ではない、「有難い存在」にいついかなる時も気づける自分でいようと思っていますが、恵まれすぎると足るを知らなくなるのが人間の慾です。
よく考えてみると、全てを必然と思えるかということが足るを知り今に感謝する妙法なのかもしれません。人はこんなはずではないと物事に不平不満を思うより、これは何を教えてくださっているのか、何を与えてくださっているのかと謙虚に素直になるのなら物事は全て必然であることしか発生していないと気付くものです。
どんな禍も転じて福にしていく生き方というのは、運命を信じて天命を守り人事を盡すということのように思います。そのためにも日々に分相応を守り吾唯足知の境地を得るために今年も御蔭様の実践を精進していきたいと思います。
昨年は、「時代に翻弄されず初心を忘れない」ことをテーマにしていましたが、その初心や理念に見守られた有難い一年を過ごすことが出来ました。今年、メンターからいただいたテーマは「もののはじまりを知る」ということです。
これは時代時代で変化が著しく人は翻弄されてしまうものです。例えば、新しいものが入ってくると古いものが否定されたりしますがそれが新しいか古いかではなくそのものが何であるのか、つまり本質を常に捉えることが大事なことだと私は聴きました。
そしてその時、伝統とか、伝承、文化とか、始まりを知ることが、翻弄されないためにとても効果があるとのことです。なぜならどんなに新しく発見されて過去のものを否定されたとしても伝承は否定されることがないからです。この「もののはじまりを知る」ことは、大元が一体何かということを知るということです。そしてそれを知ることこそが初心であり、本質を守ることです。
時代が変わっても、道は太古の昔からはじまりずっと今に繋がっています。
そしてそれを鑑みると今此処に繋げてくださった多くの方々の御蔭様がいつまでも息づいていることに気づき感謝の念がこみ上げてきます。降り積もるこの葉をかき分けて先人たちの足跡を観て学び、その真心を丁寧に継承し子ども達に譲っていけるようまず自分たちが初心を忘れないで実践を高めていきたいと思います。
今年もよろしくお願いします。
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明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。
本当は何かと、振り返ったり実践していないと何も考えなくなるほど、次から次へと情報が入ってきます。この場を通して、本当は何かと考え実践を積むことで感じられる喜びはまた格別なものです。そのことに気づけるようになったこともそうですが、共に実践して刺激し合い高め合う仲間がいることにもまた感謝の気持ちが湧いてきます。急がず焦らず着実に実践を積んでいきたいと思います。
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「流れ」の中にいると、何もしなくても過ごしてしまいますが、ものごとには「はじまり」があり、それは「思い」によって創られているということを確認しておきたいと思います。そこには「動機」があり、「目的」があり、「志」があります。そして、それを代々受け継いできた人たちがいるお陰で「いま」があるのでしょう。過去の人たちの「願い」と「祈り」の中に生まれた私たちであるのなら、その期待に応えるべく「いま」を創っていきたいと思います。
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今年は自宅で餅をつき、その餅を実家に持って行き皆でお雑煮にして食べました。子どもたちが喜んで食べている姿が印象的で、元日は朝から初日の出、初詣、餅つきと色々と動きましたが、その分だけ新年を感じることが出来たように思います。本当は何なのか、そこにどのような思いがあったのか、のこされたカタチから気づき直していきたいと思います。
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元日を妻の実家で過ごし、包丁を研いだりとしていましたが、調べていくと、元日は縁を切りやすくなるから刃物を料理に使わず、休ませた方がいいや、アクが出るから料理はしない方がいい、せっかくの福の神が来てくれるのを祓ってしまうので掃除洗濯などはしない方がいいなどの言い伝えがありました。だから、大掃除やおせち料理などがあるのかと言う事や、そのための年末の過ごし方があるのだとやってみて学ぶことばかりです。そういったことを露知らず、料理も包丁も使ってしまうのは、元を知らないことと、準備を怠っているからだと感じます。正月一つをとっても、いったい何のためなのかを深めていく愉しみがこんなに残されているのかと思うと、今から来年の正月が楽しみです。