経年変化の美

経年変化という言葉があります。これは時間が経ち、次第に変化していくという意味で使われます。この変化には、劣化していくという意味や、味が出てくるという意味もあります。古来から、日本では侘びや寂びという表現で骨董をはじめ古き善きものを愛でる感性というものがあります。

これらは鑑賞という言葉で、芸術や美術のもつ妙味を感覚で味わうように進化してきました。特に暮らしで使われてきた古民具や、その時代時代の価値観が反映されてきた古美術品などの中には、確かに「経年」の価値を感じます。

この経年の価値には、自然の変化と同じように自然が変化して積み重ねていく年月の重みを感じます。この重みは感覚によってはじめて直感できるもので、永い年月大切に遣われた重みや、誰かのためにと役に立ってきた重み、そして心を籠めてそのものをつくり上げた重み、様々な重みを感じます。これを重厚感といったりもしますが、心が入っているもの、経年変化の味わいがあるものはすべて重みがあります。

そしてこれは人にも由ります。

何百年も何千年も時代の篩にかけられて遺った言葉も重みがあります。例えば、孔子や仏陀、キリストなどの言葉にもその一言には重みがあります。そして道を歩んだ大家や、実践を積み重ねた方々にも貫禄があります。この貫禄も重みのことで、軽々しくない行動や眼差しには凛としたものをいつも感じます。

この経年変化は、自然の持つ日々の積み重ねの自然美のように私は思います。

自然を観賞する感覚というものは、その人の自然観に由るものです。どれだけ自然が美しいと感じるかは、その人の心の澄み方に由るものです。心が澄んでいれば自然が美しいと感じ、自然の美しさが心に映るということはその人の心が澄み渡っているということです。

その自然の美しさを道具の中に見出し、その美しさを留めている骨董に心を通じ合わせる仕合わせを味わっているのが経年変化の美のように思います。新しいものばかりが価値があるかのようになり古いものは価値がないと捨て去られていく世の中ですが、自然の価値の素晴らしさは永久不変の美であろうと私は思います。永久不変の美には「とき」が籠っています。

子ども達のためにも、その自然の真心を伝承していきたいと思います。

  1. コメント

    今を基準にすると、ものは古くなっていきますが、その時を基準にすると、そのものには「とき」が積もっていきます。また、変化を基準にすると、そこに歴史が刻まれていきます。ひとつのモノサシでは、失っていくように見えても、違うモノサシでは得られていくものもあるでしょう。先日「鉄は錆びるから美しい」という言葉を聞きましたが、「変化し続けること」すなわち、「無常」自体が美しいのかもしれません。

  2. コメント

    以前、クルーブログで重ね煮鍋への愛着を書きましたが、親しみが生まれるとちょっと鍋が欠けても気にならなくなります。そして、綺麗と美しいの違いもどこかそこにあるように感じます。小さいころ、背が伸びるたびに残した柱の跡も時間が経るごとに暮らしの美しさを感じます。身近になる変化の美しさを大事にしていきたいと思います。

  3. コメント

    ある園の先生が坂村真民さんの詩「日本を美しい国にしよう…」を園に例えて、新年の豊富として書初めをされているのを見て、言葉から言葉が生み出されながら想いは繋がっていくことを感じました。その方のブログに心の化粧の話が載っていましたが、昨日も様々な方とご一緒させていただく中で、年を重ね自然体でいるからこそ感じられる美しさに出逢いました。自分自身もまたそのような姿に近づけるよう、日々の生き方を磨いていきたいと思います。

  4. コメント

    磨いた貝殻も数千年の時を経た重みと美しさを感じます。磨いたり、身に着けたりと生活を共にするほどにその深さを感じるように感じます。2000年前の貝殻を磨くと、2000年を遡りながら磨きますが、2000年かけてこうやって今、自分の掌にあるという事の奇跡に、「たどり着いてくれてありがとう」という気持ちが生まれ、一期一会の想いが生まれました。モノにはすべてそういった「経年」があることを忘れず、そこにある美しさを感じられる自分自身でありたいと思います。

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