人間はこの世に出てきて自分の居場所というものを持とうとします。これは自然の生き物と同じく、自分がこの世で何をするのかを求めて自分の居場所を見つけるのです。居場所を持つことで自分の世界での役割を知り、居場所ができることで自分の心が安住するところを知るのです。
そして居場所に対して居心地というものがあります。
この居心地の定義は、人それぞれに定義するものが異なりますが私は人の生き方であろうと思います。同じ生き方する人たちが集まればそこに場が生まれ、その場はとても居心地がいいと感じるからです。
例えば、ホスピタリティが高いホテルや、おもてなしが美しい旅館、その他、サービスの行き届いたショップや、よく気配りができていて丁寧な会社など、人は居心地がいいと感じることが多いと思います。
それはそこで働く人々の生き方が同じ理念、同じ方向を向いて皆で内省し精進を続けることで発生していく居場所があるからのように私は思うのです。居場所というのは、人々が集まる場のことであり、その居場所にいる人たち一人ひとりの生き方がその居場所の居心地を決めるとも言えます。
もしも理念を省みず、それぞれにバラバラな方向を向いて自分の好き勝手にやっていたらそこに居場所は産まれません。そして生き方が異なる人たちがもしも集まっているのならそこが居心地がいいとは思わないはずです。
人は、一人で生きているのではないのだから誰かと一緒に生きていくのです。一人で生きていると思っているのは錯覚で、その時代の人たちと一緒に生きているはずですし、自分の周りの環境の中で買い物や食べ物、その他を購入したり働いたりするのだからやはり自分の周りの環境と一緒に生きているとも言えます。
一緒に生きていく人たちがチカラを合わせて自分たちの生き方をその場その場で盡していくことが居場所を持つことであり、その居場所を居心地が善くするかどうかはそこで生きる人たちの徳の生き方に由るように思います。
一人ひとりが徳を高めようと人格を磨き続けるのなら、その場は徳によって思いやりのある場が自然発生していきます。もしも徳を蔑ろにして我ばかりを押し通してしまえば場もそれ相応に変化していきます。
場は人が創るものですから、その場にいる自分自身がその場を創っているのだという自覚がなければ居場所も守れず居心地を維持することもできません。人はあの人がいるから居心地がいいやあの人がいるから居場所があるというのは、そこに必ず徳の存在があるということです。
徳を高め、居心地が善い場所ができるならその場にいて心休まり心癒され心が繋がる人々が次第に集まっていくように思います。徳を積む人が増えれば人が集まるのは、その居心地が善い場所に徳を慕う人たちが集まるからです。結局、徳業というものの上に事業がありますから本来の道徳が優先で利殖が着いてくるのでしょう。
桃李成蹊もきっと居場所居心地があってできるのでしょう。
こどもたちのためにも、徳の道を譲れるように精進していきたいと思います。
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実家に帰ると何故かよく眠れます。それと同じ様に居心地の善い場が他にもあることは幸せなことです。だからと言って居心地がいいからと甘えていては、せっかくの場も廃れゆくのだと思います。自分はもしかしたら、徳ではなく損得で物事を見ていたのではと思います。自分たちにとって居心地が善いだけでなく、先生方も安心できる場を創っていけるよう精進していきたいと思います。
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人は、自分の波動が合うところが「居心地」がいいと感じます。逆に、「場違い」みたいなところに行くと本当に辛いものです。どこが居心地がいいと感じるかで、自分自身の波動がわかります。ただ、人の心は結構乱れます。その乱れた波動で、せっかくの「場」を乱すこともあります。また、その「場力」によって、乱れた波動を整えてもらうこともあります。目には見えませんが、一人ひとりが、自分の波動によって「その場」を創っている、支えているという意識をもっと持つ必要があるでしょう。「良い場」がどれだけあるか?!磁場のいい国を創りたいと思います。
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おもしろい話やツイてる体操など、これらが無かった頃が考えられないくらい、それらが朝サミットの場を整えてくれているように感じます。発酵場になっているか腐敗場になっているか、やはり皆で高め合える環境が居心地良く、一円対話で皆の想いが同じ方向に向かっていることを感じると嬉しくなります。自他が分かれない、繋がりの中にいることを忘れずに居心地の良い場になっていきたいと思います。
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自分が「場」を作り出す一因としてその場所にいるのか、それとも、その場の力を頂いてその場所にいるのか。それは、自分がどれだけその場に主体的でいるかと言う事なのだと実感しました。それぞれが自分自身に矢印を向けて、内省的に実践行動を積み重ねるということは、とにかく行動と振り返り在りきのものであるのだと感じます。場の力を頂けるように、傲慢にならず、毎日をサボらぬように過ごしたいと思います。