昨日、八女市で90年以上続く九州で唯一の桶職人松延新治さんにお会いする機会がありました。この方は、川端誠さんの落語絵本「たがや」(クレヨンハウス)の主人公のモデルにもなった方だそうです。森の名手名人100人にも選ばれる伝統工芸職人でもあります。
工房の中を拝見させていただくと、全国各地から集まっているあらゆる木桶に囲まれていました。伝統の職人さんが居なくなっていく中で、かつてからの桶を大切にしたいと思っている人たちにとってはまるで救いの神です。
私も発酵をはじめ漬物樽や酒樽、味噌樽、その他、おひつや風呂桶をはじめ、様々なものを伴に暮らす道具として重宝してからはこれをどう手入れしながら大切にしていこうかと愛着をもって接してしました。すると古いものを譲っていただいたり、かつての古民具なども次第に集まってきます。その中には、どうしても修理しないといけないものもあり、その時に手入れ手直しをしていただけるというのは本当に学びも多く、日本古来の自然との共生の工夫を観直す機会になります。
今の時代は、桶ではなくプラスチックで大量生産されたものを使います。修理するよりは買い換えた方が安く、また今は修理不能のものばかりが売られています。そうなると、次第に修理が必要なもの、手入れを怠れない自然のものは大変で面倒だからと次第に遠ざけていくものです。
しかし長い目で観たら、自然物というのは大切に接して手入れをすればするほどに長持ちし、しかも修理ができて末永くずっと一緒に暮らしていくことができるのです。なんでも使い捨て、なんでも便利に買い換えていたらそういう有り難いつながりや、共に育ち助け合ってきたもったない御縁に気づく感性も鈍ってくるかもしれません。
今回は、今ではもう使われていないような歴史の古い木炭や薪で焚く鋳物つきの木の風呂桶の修理をお願いしましたが修理すればするほどにそのものをいとおしく感じもっと大切にしたいと思うように感じます。
職人さんが手作りで作ったものを、大切に手入れして大事に使っていくことは一緒にその道具と呼吸をして共生していくかのようです。工房の中は古き善きたくさんの修理待ち、修理済みの道具からまるで「これからもお願いします」というような声が聴こえてくるようで、新しい道具からは「温もりをいつまでも忘れないで」という声が聴こえてくるようでした。桶の歴史は平安時代より続き、生活の中でずっと私たち日本人と息づいてきました。嫁入り道具や御守道具、また祖父母の形見や思い出にもなってきたそれぞれの木桶の中に有る思い思いの人々、もったいないご先祖の真心を桶たちから感じたからかもしれません。
昔の発酵や、木の持つ素晴らしさを知ればしるほどに桶の魅力と自然と暮らした人々の感性に尊敬の念が湧いてきます。子どもたちのためにも、伝統を深め、その伝統が遺りその心を譲っていけるように自らが実践を積み重ねていきたいと思います。
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自分が小学生の頃、将来なりたい職業にランキングに確か大工さんが入っていたように思います。職人=大工さんと思っていたように感じます。職人と一言で言っても幅広く、多くの仕事があることを知ったのはもっと後になってからです。これからますます子どもたちはその存在すら知らないものになってしまうかもしれません。ただ、今住む町にも職人さんがおり、来週年に一度のお祭りがあります。地元の文化を住んでいるだけでなく自分自身も大事にしていきたいと思います。
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元々は、「作る-使う」という「人と道具の関係」だったものが、いつの間にか「生産する-消費する」という「経済の関係」に変わってしまいました。その結果、「一つひとつ丁寧に作る-大事に使う」という流れが消えつつあります。「使う側の人」には「世の中の価値観の変化」がその選択を変えさせ、「作る側の人」には「生活や家計の問題」がその継続を困難にしてきました。そろそろ私たちは、新しい「永続的な循環のシステム」を発明しないといけないのではないでしょうか。
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桶というと味噌桶を思い浮かべます。先日、味噌の仕込みを行い、仕込み量の多さと金額のかねあいから今年もプラスチックの桶を使いましたが、昨年つくった味噌を味わい今年もまた仕込みを行うと、来年こそは道具にもこだわりたいと思えます。それはただ食べるという以上に、素材や発酵菌やかける手間暇などを大事にしたいと思えてきたからなのかもしれません。道具の前に、ものを使う心の方から高めていきたいと思います。
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味噌桶を作って頂いたのも、ご高齢のお婆さまだったのですが、製作をお願いするあの時に、では、桶一個、仲間にいれてあげますね。と言われた事を思い出しました。物を買ったのではなく暮らしを共にする仲間という発想から、学んで転じていきたいと思います。