都会に住んでいると、全てが便利なものに囲まれています。今ではインターネット一つでありとあらゆるものが宅配されます。さらには都心に居れば即日配達というものもあります。ボタン一つで氷から飲み物、食材まで簡単に購入でき配達されてきます。
先日からインフルエンザに罹り寝込んでいますが、有り難いのは周りの心配や祈りをいただけることです。便利になってすべてはお金で手に入れられる時代になったようにみえても、その実は人と真心や親切、祈りや繋がりはお金では買うことはできません。
今回の病でふと以前のことを思い出していました。幼い頃は、氷なども冷蔵庫のものしかなく桶に水と氷を入れてはタオルで絞り頭に乗せて看病してもらいました。祖父母も心配で遠くから何度も様子を見に来てくれては食べ物を置いていってくれました。弟も自分のことのように心配し、遊ばずに大人しくしてくれました。近所のおばさんも体調を気遣い見守ってくれました。犬までも心配して気にしてくれていたのを思い出します。
沢山の愛情をかけてもらって今まで生きてこられたこと、病気のたびに思い出します。便利な世の中になり、確かに色々なことがお金で済むようになりましたがその実は大切なものは何も以前から変わることはありません。一人になればなるほどに今までかけてくださった他人様の御恩の尊さを実感し、一人で向き合えば向き合うほどに他人様からかけてもらった人情の温もりを感じます。
今のような便利さで溢れている時代、何でも当たり前になる怖さを感じます。当たり前であればあるほどに感謝を忘れ、感謝を忘れたら他人様の恩情を見失ってしまうのかもしれません。
自分一人で生きていけるなどと言うのは、お金が産み出す幻想であって人は一人では決して生きていくことはできません。それは人が一生を送るには、無数の人たちが関わってくださっているからです。その恩に報いたいと思い生きること、それができるなら人生は迷いなく倖せに生きられるはずです。孤独死など恩に報いて生きていく人には存在しない境地です。
どんな時も、いただいた御恩や御厚情を忘れずに日々に感謝で歩んでいきたいと思います。
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週に一度、一週間を振り返る時間を設けていますが、そこで思うのはあんなことがあったと思い返し、あの時実はこんな意味もあったのではないかと後から気づくことです。その場、その時に気づけなくてもじわーっと滲み出てくるような感謝の気持ちは大事な時間です。いつも周りの方に支えて頂いていることを忘れずに、少しでもお役に立てる自分でありたいと思います。
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強制的にでも入院させないことには、本人が休むことを知らず、潰れてしまうということもあるでしょう。また、わかっているつもりでもいつの間にか慢心し、「感謝」が狭く、浅かったということも、入院して初めて気づいたりします。更には、多くの人に支えられていたことに気づくことなく生きてきた分、報恩に生きようと誓う「生まれ変わり」の機会であるのかもしれません。「病気」という仕組みに、さまざまな人生のヒントが隠されていることに、感謝したいと思います。
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一度大病を患った人の方が病気を予防しようとする意識が高まると言いますし、慢性的な症状を持っている方の方が日常を気をつけて生きているのだと思います。一度死にかけて人生の見方が変わったという方の話もよく聴いたことがあります。そこまでしないとわからない、というのではなく、日々に感謝の気持ちを忘れない、不満ではなく感謝の方が見えるための習慣を大事にしていきたいと思います。
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なぜこんなにも、何度でも慢心というものはやってくるのだろうかと感じます。気づける慢心もあれば、気づかずに巣食う慢心があり、厄介なことになっています。ただ、築かない慢心があると自覚していると、心は大変ですが、安心もあります。不思議な不安定さを楽しんでいきたいと思います。