天災と人災というものは異なるものです。天災は地球規模の災害であり、大地震から大津波、大竜巻に大台風、大寒波に火山の大噴火、熱波から隕石の落下まで毎回、私たちの想定を確実に上回る災害が天災でもあります。
それに対して人災というのは、想定内で起きる人的災害のことです。原発事故や工場火災、水道管の破裂に地下鉄事故、交通事故や停電、風評などこれらは人災でありすべてそれは事前に備えることができるものばかりです。
この天災と人災と混同している人が増えてきているように思います。一般的にビル管理などで行う災害訓練は人災対策です。これは日頃から訓練しておかなければ「人災」が起きてしまうということから行われる訓練です。本来、運よく最初の天災から逃れられたとしてせっかく助かったいのちを人災によって失うのを未然に防ぐための訓練のことです。
人災とは人道のことで、人の道は日々の平常時の訓練を怠るなということで人災が発生しなくなるようにするのが人の道です。二宮尊徳が、「人道は一日怠ればたちまち廃れる」という言葉があります。そもそも一日怠ることが平気な人がいくら人災の訓練をしたとてそれはもう廃れているのだからひょっとしたらしない方が他に影響を与えない分ましかもしれません。日々に防災のチェックをしたり、日々に備品の管理をしたり、大事なのは人の道は「一日も怠らない」ということで人災は防げるのです。かつて二宮尊徳が何度も天災に対して人道を盡して飢饉や飢餓を救ったり、水害を防いだり、沢山の人命を救助できたのもまた二宮尊徳が「一日も怠らない実践者」であったからであり、その徳恵によって仲間や家族が救われたのです。その遺徳は今でも人災対策の鑑です。
それに対して天災はどうかということです。
天災は時の運です。この天運というのものは、不思議なもので例えばちょうど地震の時に出張で遠くにいたり、津波の時にそこに近づいてしまったりします。自然界に生きている生き物たちは台風が来る前にはみんな避難していると言います。メダカなども流されないように石を呑みこんで深く潜っているといいます。鳥や野生の動物は、事前に天災を察知して避難していのちを守ります。
これは野生の勘とも言えるものです。自然から離れず、自然により沿っていきている生き物たちは自然の観察に長けています。それは固定概念に縛られず、危機意識を怠らず、自分のいのちを最優先に守り、自然への畏敬を忘れず、ピンチの時こそ野生の勘が働いているから助かるのです。
これを運が善いとも言います。この運とは、天運に対して自分の運を合わせていくということです。日頃から自然を畏敬し運が悪くならないような生き方をすることで、救われます。たとえば謙虚さや素直さを持っている人は、なぜか人のアドバイスや周りの見守り、環境の組み合わせによっていのちが長らえます。
これは日々の生き方が天道に逆らわない、昔の言い方をするのなら「お天道さまに恥じない」生き方、つまり正直に謙虚に素直に己に打ち克って初心理念を優先して生きているからです。お天道さまがいつも守ってくださるのはその人が「正直」だからです。そして正直が守られるのは天運に沿っているからです。これは会社経営も然り、生き方も然り、本来の日本人は環境の変化、天災が世界一多い国だからこそ先祖代々、「正直こそ無敵」であると、お天道様を信じて取り組んできたのです。そしてこれらの努力こそが、人道の極みとも言えます。
いくら体調を崩してこのブログを已めないのは、それが人道であるからです。一日怠ればたちまち廃れるからこそ、天理に沿って人道を重んじるのです。人道を怠らないことが己に打ち克ち天道に従うことになります。
引き続き、子ども達のお手本になるように日々の生き方の方を平常心・平常時の方を大事に実践を積み重ねていきたいと思います。
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「天道」に沿った生き方とは、「人間としても、なすべきことをきちんとなし、なすべからざることは絶対になさない」ということだと言われますが、それを見極められる「素直さ」が必要です。「怠惰」や「自己都合」が優先されていては「天道」に逆らった生き方になります。「一日怠ればたちまち廃れる」というのは、厳しい言葉ですが、それが「人道」の本質であることを、「人災」の真因を通して再確認しておきたいと思います。
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二宮尊徳という人はどこまでいっても、カグヤの目指す生き方そのものであることを改めて感じます。一円観も然り、ナスの味から3年も4年も先を見通し、心田を耕し続けた実践はまさに鑑です。少しでもそこに近づいていけるよう精進していきたいと思います。
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災害への備えを考えた時に「運の善い生き方」や「正直」という言葉を思い浮かべることは今まで一度もありませんでした。以前ならそれを言葉通り鵜呑みにしたかもしれませんが、刷り込みが取れていくほどに今はその言葉の奥深さを感じられるようになってきているのかもしれません。子ども達を守ろうとする時、目先のもの眼前のものではなく、もっと根本にあるものを伝え遺せるよう、自分自身の感覚を研ぎ澄ませていきたいと思います。
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天災という時の運を感じられるためには、地球や宇宙の一員として生きることのように、感覚が訴えてきます。そして、人災は正に今の自分の課題です。自分に打ち克ち、我ではない生き方を大切にして生きたいと思います。