朝から炭を熾し、囲炉裏で鉄瓶の一杯の御茶を呑むのはとても仕合せな時間です。囲炉裏のある暮らしというのは、温もりのある生活です。この日本の囲炉裏にはとても不思議なチカラがあります。
縄文時代より家の中心には囲炉裏が設置され、暮らしの中心は火と共に行われました。囲炉裏が真ん中にあると、冬は暖かく夏はカラッとしたと言います。灰や炭が防虫効果や病気が入ってこないこともあり、火の神様は一家の守り神として大切に日々に接してきたと言います。
その後、日本家屋は「土間」、「居間」、「座敷」の3つの空間に分かれました。「土間」は出入り口とつながった空間で農作業をする場所、「座敷」は人を招きおもてなしをする場所、そして、寝起き、炊事、団欒などの生活の場所として「居間」と分かれます。
得に囲炉裏はは火の神の祭り場であり、火の神は家を守る神でしたから家の中では最も神聖な場所に設置されました。そしてそこに足を踏み入れたり、穢れたものをくべることは禁じられたほど神聖な場所でした。それだけ火は、私たちの先祖が大事に信仰してきた家の守り神であり、一年中、神棚に火を祭ることで暮らしが継続できたとも言えます。
以前、石川県で「火様」という風習が残っているのを聴いたことがあります。これは毎朝、小枝をくべ炎がおさまると灰をかぶせ手を合わせて祈る。これを300年も継承されていると言います。
これはまさに原始の心、火の神様を祀り奉るための神事であることが分かります。
今では当たり前になっていますが、この「火」が絶えないことが家が絶えないことであり、囲炉裏を中心に家族が団欒して集い暮らしが存続できたことの御蔭様が火の神様であったということでしょう。火の神様がいらっしゃる神聖な場所、そこが「囲炉裏」であったのです。
囲炉裏は家の魂とも言えます。
家の中に囲炉裏があるということは、そこに一家の魂が宿っているということです。その一家の魂が常に火がともし続けられ、その火を守り続けるということは家運を守り続けるという家主の実践の一つだったのです。
囲炉裏を大切にするということは、その家の暮らしを大切にするということですから温もりを絶やさずに神聖な場所を守り続けたことで囲炉裏と共に代々が続いていくのだという歴史の歩み方を伝承しています。
最後に「永遠の燈火」として800年間火を絶やしていない千葉家の家訓で締めくくります。「いろり火の焚火はな、先祖が焚きつけた火じゃで、消すことはならんぞよ。代々伝えてくりょ。なんとしてでも、山があるもんやで火を絶やさずやってくり」とあります。
そして火はこうやって残すのだという心得を続けて語ります。
「いろり火を絶やさないコツは、朝起きたら、夕べの火種を掘り起こして、火をおこし『おき火』をたくさん作っておくこと。昼間は灰をかけて、その上から十能一杯分の籾殻をふりかえておきます。そうすると夕方まで火が残る。十三時間くらいは大丈夫。夕方は、朝と同じように火をおこして同じことを繰り返します。かつては薪も山の木を割ってくべていました。今は、若い者の仕事が忙しいので、買った薪を使うこともあります。火を守り続けて感じるのは、昔は、簡単に火をつけることができなかったので、大切にしたんやないかということです。今は、火を守る必要がないと思われるかもしれませんが、先祖からの火なので尊く感じられて…。先祖あっての自分ですから。この家には家族五人が暮らしています。家のものは、先祖からの言い伝えをただ大切に守っています」
・・・先祖からの火なので尊く感じられて・・・。
火が絶えないということは、先祖からずっと火を守り続けてきたということです。囲炉裏は火が絶えない場所なのです。囲炉裏が今もあることで、私たちの暮らしは復活していきます。
引き続き、子どもたちに伝承したい暮らしを味わっていきたいと思います。
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800年守り続ける、それは自分の想像では及ばない世界です。自分の情熱でさえ乱高下し危うくなることがありますが、それを遥かに超え一家で守り続けるその実践にはまだまだ足元にも及びません。自分のことだけを考えれば投げ出しかねないことも、一家のため家族のためと想いを背負い想いを育て、もっと言えば誰かの心に灯を燈す、そんな自分になりたいそう感じます。
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「法灯を守る」という言葉がありますが、信者にとっては命懸けです。「油断するな」「油断大敵」という言葉も、「不滅の法灯」と呼ばれる灯明を絶やさないように、菜種油を朝夕継ぎたし続けている僧侶の姿から生まれた言葉だといいます。この「法灯」にあたる「守り続けるべきもの」が各家庭にもあるのでしょう。家庭に「闇」をつくらず、家族の心にも「闇」をつくらない工夫が、囲炉裏の火であったのではないでしょうか。
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久高島そして百年の館で夜中に起こしていた炭の火は、あたたかさだけでなく癒しと安心感がありました。大昔の火との出逢いは落雷によるものだったのだろうと想像しますが、まさに天からのいただきものだったからこそ貴重なものだったということ、本能が覚えているように感じます。形容されるものの多い、火という存在との関係をもっと深く感じていきたいと思います。
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何を先祖から受け継ぎ、何を子孫に引き継いでいくのかと言う事の中に、「火」が選択肢としてあるとは思いもよりませんでした。火を先祖からの頂きものとして使わせて頂く生活と、今のような生活とでは感謝のベースが違うように感じます。受け継ぐもの、引き継いでいくものが減れば減るほどに心から抜けていくものがあるのかもしれません。味噌や梅干し作りも、日々我が家で食べているものがありますが暮らしの中でそういった実践を大切にし、引き継いで行けたと思います。