万物の他力~御蔭様の力~

人は自分の力でどうにかなることと自分の力でどうにもならないことがあります。しかしよくよく観察していると自分の力でどうにかなることなどはほとんどなく、周りの御蔭様ではじめて物事が全て成就しています。自分の思い通りにならないことに執着があるから人はどうにかしようとしますが、実際は周りの御蔭様で動いていることを知れば自ずから自分の力だけを頼っても仕方がないと思えるようになるのです。

実際に、自力の後に他力が働くという言葉があります。人事を盡しているからこそ天が手助けをしてくれるという発想です。この他力や天の手助けというのが御蔭様のことで、御蔭様が働いて自分の思っている以上のことをしてくださっているという感謝の心です。

この他力や天の助けというのは、自分の力云々や誰かの力云々ではなく御蔭様に感謝した方が楽になるということです。自分の力ではどうにもならないからこそ、もっと御蔭様に感謝していこう、もっと大きな見守りを信頼していこうとするのです。

その姿勢やその態度が、本来の自力や尽力、誠実や真心を引き出し自他ともに一体になって大いなる循環の流れにスパンとはまり、自然界の相乗効果のようなものが発生し思った以上の御縁に感謝でき力の意味を実感するのです。

力というのは、全てにおいて相乗効果のことであり相乗効果が発揮できるように力を使っているから力は働いてくれているとも言えます。例えば自利ではなく利他に生きる人はいつも相乗効果を引き出して物事が自然に動くのを邪魔をせずその力をかりて物事が澄まされていくのです。

その他力や天の御助けが入るようにするには、その力をいつも観る感性を身に着ける必要があります。それが御蔭様の感謝を忘れない実践であろうと思います。有り難い有り難いと、不思議な力に見守られているという実感がある人は、いつもその御力をおかりして物事が動いていることを知ります。自分の思い通りに自分中心に過信して力を使うことを戒め、いつも有り難い御蔭様によって助けていただき今の自分が存在できていることを謙虚に受け止めます。

そういう生き方が、周りの力を使うことであり相乗効果によってより偉大なことを実現する本来の力を使っていることになります。

本来の力とは、万物の他力でありそれが働いているだけです。

自分もその力の一部、他力の中の一つになるのだから御蔭様になり御蔭様と言われるような天と一体になるような生き方、敬天愛人の実践によって万物の他力に近づいていくことが未来へその御蔭様の力を譲る方法のように思います。

子ども達の為にも、御蔭様の感謝を忘れずに力を譲る心を醸成していきたいと思います。

  1. コメント

    その場、その時に気づけなくても後から、あれって有難いことだったと気づくことがしばしばあります。そして周囲のために自分を使おうとする姿に自分も少しずつでも近づいていきたいと感じます。見守られているという安心感に安住せず、自分もまた誰かの見守りとなれるよう実践を積んでいきたいと思います。

  2. コメント

    「自力」でがんばっていると思っていることの中に、既に「他力」が及んでいることをよく感じます。したがって、あまり「自力・他力」と意識しなくてもいいようです。ただ、「利他」のつもりで進めていても、孤独を感じるときには、その思いに、不純なものが混じっている可能性があります。「おかげさま」という気づく力をもっともっと高めていきたいと思います。

  3. コメント

    日頃、自分が気づいていることはほんの一部で、気づけていないことの方が膨大なのだと思うと、自分がやった出来たと慢心したり、逆に自分のせいでと卑下する時ほど、本当は視野が狭くなっているのだと、もっと観るべきものを観ることの出来る自分でいたい、見守りの中にいることを忘れないようにしたいと思います。

  4. コメント

    自分で作り上げたものだと思っても、その機会を頂いたのも、気づきを頂いたのも、アイディアを頂いたのも、環境を頂いたのも、何から何まで、見返せばお蔭様ですが、そこに中々気づけず、我が出てきてしまいます。天に祈る気持ちで、我が静まってくれるように日々祈りつつ、過ごしていきたいと思います。

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