昨日、久しぶりにあうん健康庵の小松先生と奥様にお会いしました。いつもながらの温かい心遣い、おもてなし、いつもの素敵な笑顔と生き方にお会いするだけで元気をいただけます。
場所が離れていても、どんな時でも、私たちのことを応援してくださり励ましてくれる。子ども達のためにと精進していくことは厳しくもあり楽しいことでもありますが、志を実践する方との邂逅によって御縁や道はいつも支えられているように思います。
そのあうん健康庵の入口に、「素直は能力」と書かれた色紙があります。この素直さというものは何ものにもかけがえのない自然治癒の極意のように感じ、私自身もこの素直さは単なる性格ではなく己の磨き方としての最大の能力であるように感じています。どんな時でも素直な人は、全ての出来事やご縁を必ず善いことだと受け容れ、それを福に転じます。しかしその大事な場面で素直の能力がない人は、全ての出来事を禍にしてしまうのです。幸不幸はその人のものの見方、受け止め方ですからどんな出来事もその人がどういう見方をするのかで見え方が変わってきます。その見え方を変える技術、それも素直の能力の一つであることは分かります。
素直と言えば、私が最初に思い浮かべるのは松下幸之助さんです。
松下幸之助さんは、人間にとって何よりも欠かせない大切なものは「素直さ」であると言い切ります。生涯をかけて、素直という言葉を言い続け書き続け実践をし続けた方です。そのエピソードや人生の出来事の場面で如何に松下幸之助さんが素直の能力を活かして禍を転じて全て福にしてきたかが分かります。何よりこれは産まれつきでもっていたのではなく、大切だと気付いて努力して能力を磨いたことが「素直の初段」という言葉の中に残っています。
『私自身はこういうことを考えている。それは、聞くところによると、碁というものは特別に先生について指導を受けたりしなくとも、およそ一万回うてば初段ぐらいの強さになれるのだという。だから素直な心になりたいということを強く心に願って、毎日をそういう気持で過ごせば、一万日すなわち約三十年で素直な心の初段にはなれるのではないかと考えるのである。初段ともなれば、一応事に当たってある程度素直な心が働き、そう大きなあやまちをおかすことは避けられるようになるだろう、そう考えて、私自身は日々それを心がけ、また自分の言動を反省して、少しでも素直な心を養い高めていこうとしているのである。そのように方法はみずから是と思われるものを求めたらよいわけだが、素直な心の涵養、向上ということ自体は、あらゆる経営者、さらには、すべての人が心がけていくべき、きわめて大切なものである。それなくして、経営の真の成功も、人生の真の幸せもあり得ないといってもいい。だから、素直な心に段位をつけられるものであれば、やはりお互いに初段ぐらいにはなることはめざしたい。そこまでいけば、これまでに述べてきたようなことも、おのずと体得され、生かされてくると言ってよいであろう』
松下幸之助さんは80歳半ばになってようやく素直の初段になったと言っていました。生き方として如何に素直を磨くかは、日々の御縁や出来事を通した時、自分がどのようにそれを転じつづけて福にしたかという実践なのです。日々の過ごし方一つ、当たり前ではなく有り難いと感じて物事の見方を転じて観ることや、何かあった時にこれはきっと大切なことを教えてくださっていると学びに換えること、そういう日々の行動で素直は磨かれるように私は思います。また松下幸之助さんはこう言います。
『素直さを失ったとき、逆境は卑屈を生み、順境はうぬぼれを生む。逆境、順境そのいずれをも問わぬ。それはそのときのその人に与えられたひとつの運命である。ただその境涯に素直に生きるがよい。』
生き方として、逆境が来た時に卑屈になればそれはまた己に負けることになります。そして順境の時にうまくいっているからと調子にのればまた己に負ける。人生は常に己に克つかどうか、自分との付き合いをどう素直な状態にしていくかですから運命を受け容れその境涯に対して如何に油断しないで何があろうがなかろうが日々に粛々と実践を続けていくかということになるのです。
素直さを磨くという心があれば、素直さの能力は高まっていきます。最後に松下幸之助さんが言う素直な心で締めくくります。
『素直な心とは、単に人に逆らわず従順であるということではありません。本当の素直さというものは、力強く、積極的な内容をもつものだと思います。つまり、素直な心とは、私心なくくもりのない心というか、一つのことにとらわれず、物事をあるがままに見ようとする心といえるでしょう。その心から、物事の実相をつかむ力も生まれてくるのではないかと思うのです。だから、真理をつかむ働きのある心だと思います。したがって、素直な心とは、何ものにもとらわれず、物事の真実と、何が正しいかを見きわめて、これに従う心、適応していく心です。お互いが素直な心になれば、していいこと、してならないことの区別も明らかとなり、また正邪の判別もあやまることなく、何をなすべきかもおのずとわかってきます。素直な心になりましょう。素直な心はあなたを強くし正しく聡明にいたします。』(「素直な心になるために」PHP)
逆境のときこそ素直さは磨かれ、そして順境の時こそまた素直さは磨かれる。素直の初段になるために、日々素直は能力と言い続けることは生涯の人生道場であり、一生の修行であるように思います。
自然治癒もまたこの素直さが何よりも肝要であることを学び直しました。
起きた出来事一つ一つに大切な意味があることに感謝し、日々の御縁を大切に学び直しを味わっていきたいと思います。
コメント
子どもは素直ということはよく聞きます。では。どうして大人になると素直さが薄れていくのだろうと思うとそこにも刷り込みがあるからなのだと感じます。子どももの頃の体験や経験が刷り込みにあったとしても環境次第でまた花開くと思うと、子ども時代の環境を大事にしていきたい、先生方と一緒にできることはやっていきたいと改めて感じます。子どもの発達を邪魔しないよう、日々の振り返りと日々の出会いを大事にしていきたいと思います。
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何年も前に「素直の初段」を目指そうと決意し三十年の修業に入りました。そして、自分なりに「とらわれ」をチェックしてきましたが、やってもやっても「自分のとらわれ」が目立つばかりで、まだまだ「初段」への道は遠そうです。それでも、少しずつ世の中の見え方は変わってきたように思います。その人の「素直さ」によって、きっと世界の「見え方」が違ってくるのだと思います。それを、自分の「素直さ」の進歩のモノサシとして、引き続き、丁寧に「自分のとらわれ」をチェックしていきたいと思います。
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碁の例えを言い換えれば、一万回の場数がなければ初段の強さにはなれないということ。それを思うと、一回毎に一喜一憂していれば疲れてしまうし、勝てる試合だけ挑むなどということをしていれば一生かけても初段にはなれないことは明らかです。今、必要なタイミングで多くの方から教えをいただいていることを感じます。ここを逃さずに生きたいと思います。
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素直さを磨ける環境を持っているか、素直さを鈍らせる環境を持っているか。自分の周りにどんな環境があるのかを見返すと、子ども、仲間、家族、友人、と本当に素直な方々に恵まれていると感じます。反対に鈍らせる環境は、比較の意識や責任の意識など、こうでなくてはという自意識が多くあります。Plan do seeの環境では素直さは発揮出来ないことに気付きます。毎回の今に心を寄せていく、その連続が素直を磨くと信じ、実践していきたいと思います。