昨年から暮らしの実践をはじめ、身のまわりの道具や環境が和のものに変化してきています。和のものとは、日本古来のものであり先祖たちが手作業で編み出して産み出してきた智慧の姿を顕すものです。
今の時代は、西洋や外来の文化を中心に大量生産されたものを家具や道具に用いることが増えています。家も西洋風になり、家具もその他の生活スタイルも西洋のものを取り容れています。しかし、歴史のある建物や古民家などにはかつての日本の生活スタイルで用いられた文化が遺っていることもあります。
改めて「和」とは何か、少しずつ深めていきたいと思います。
和というものは、辞書をひけば「仲よくすること」や「調和すること」、「協力すること」や「結ぶこと」など書かれています。他にも「やわらぐ」、「おだやかな」という意味もあります。この和という言葉は、私たちは聖徳太子の時からはっきりと意識しはじめたように思います。和の文化と呼ばれる日本文化は、伝統文化の中に色濃く残っています。先祖たちがどのように生きてきたか、どのように暮らしてきたか、その中に和の本質は現存しています。その先祖の智慧を敬い、謙虚にその智慧に触れるとき和は私たちの心の中に感応できるものです。
私の思う「和」というものは、自然に融け合うことです。道具をはじめ家具から家屋、その他の文化はすべて自然に寄り添い自然と融け合う中で自然人一体になっています。自然との共生の中で日本の風土を顕したものが和なのです。そしてその和には、連綿と受け継がれている御縁や繋がりが存在します。その太古の昔から日本人が自然を深く敬愛し、自然の中から学んだ共生の法理、その実践がかんながらの道です。
それらの悠久の歴史の中で、私たちは「和する」ということ、調和し平和することの真心を感じてきました。それは「福する」と言い換えてもいいかもしれません。自然のままにあるがままに生きていけば自ずから全て調和することができるという意味です。
それを間違えるのは人道に反することを行うときであり、我慾や己に負けてしまうときです。そうならないように自然から離れず謙虚に学んできたのが「和の精神」です。今、時代は西洋の考え方を取り容れすぎたために自然を征服しようとまで考えが変わってきました。自然から離れ自然を管理し、人間が傲慢になってくればそれは「和」とは程遠いものになります。
和の文化が消失するのは、この自然から遠ざかることを意味します。先祖たちは数々の道具を自然と一体になって産み出しました。その感性はまさに調和する道具たちであり、その道具たちが周りの道具と一体になるとまるで自然の叡智の中にいるかのようです。この安心感は心を癒し、寛ぎを与え何よりも静けさや穏やかさといった心の平和をもたらしてくれます。和の家や和の部屋に居るだけで、心が穏やかになり静寂が訪れます。
もう一度、日本人とは何か、日本文化とは何か、自らが暮らしの実践を通じてそれを体現していくことです。和風というものは、その生き方を実践する人たちが醸し出した生き様のことでありその生き様が文化継承のカギになるように私は思います。
子ども達のためにも、和をもって貴しとなすような生き方を今の時代の責任を担う世代の責任者として少しでも道を歩みカタチに遺して譲っていきたいと思います。
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和の物はどれも見た目もですが実際に手にしても重量感が違います。あの重さは物を丁寧に大事に扱わせる自然の結晶なのだと感じます。この重さも手にしてはじめて感じたことですが、子どもたちに伝承していく責任があることを忘れず、頂いている機会を大事にしていきたいと思います。
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「衣・食・住」のなかには、まだ一部「和」が残っています。特に田舎では、自然と調和する生き方がまだ少し残っていてホッとします。「安い、便利、簡単」あるいは「新しい、カッコいい」ということで、どんどん入れ替えてきましたが、改めて「和」を見ると、そこにはたくさんの先人の理に適った智慧が詰まっていることを知って驚きます。と同時に、大事なものを手放してきたことを反省します。幸いにして残っているものを頼りに、もう一度、見直してみたいと思います。
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「自然を征服する」という言葉に対して今まで環境破壊という方面ばかりで捉えていましたが、「時」という観点から観ることもまた大事なことだと感じています。先日のモーニングでも積み重ねられた深さを感じましたが、和の空間に居る時の心の安らかさは、そこに溶け込んでいる自然の中の永い「時」から感じられるもののようにも思えます。容易に観えないものにこそ目を向けていきたいと思います。
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昨日は鰹節をかき、出汁をとり、料理を作り、お刺身を引き、最後に研いで終わりました。道具のお陰で暮らしから日本を学べるありがたさを感じています。まだまだ、型や姿勢が和風ではありませんが、1つひとつを実践から磨いて行きたいと思います。
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和の美は日本伝統文化、先人の知恵です。
このことから、「我意」:自己中心で独断的な考えや意志を押し通そうとするさまはいけない。「過失」:不注意などによって生じたしくじり、過ち、一定の事実を認識することができるはずなのに、不注意で認識しないことは繰り返さない。「信用」:確かなもの、行為・業績などから、信頼できると判断し、信じて受け入れることはおカネでは買えない。
人の道であると思う。
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日本御伝統文化の和の美から人の道「我意、信用、過失」を想う。