世の中には一般的に目に見える利益というものと、目に見えない利益というものが存在するように思います。それは目に見える給与と目に見えない給与というものがあることと同じで、直接的に得られるものと間接的に得られるものがあるのです。
今はあまり語られることがなくなってきましたが、「徳」というものがあります。直接、銀行に現金を貯金をするものとは別に、間接的に天に徳を貯金をするということがあります。本来、先祖が働いて貯めてくださった徳の貯金を使って私たちは今の時代を生きられるのであり、子孫は同じく今の私たちの徳の貯金を使って生活していけるとも言えます。
もしも自分の世代だけで、先祖の徳を使い切ってしまえば次世代の徳の貯金は枯渇し目に見える直接的な利益も目減りしてきます。例えば、自然の資源も次世代のために豊かな自然環境を残してそれを育めばその恩恵は次代に譲れます。しかし今使い切れば、次代は恩恵はありません。そうなれば今のような食べ物もなく、今のような材料もなく、今のような多様な環境もありません。
今、かつての歴史においては最高に豊かで贅沢な時代だと言われています。平和も続き、食べものも豊富にあり、ありあまる富の中で私たちは生活しているとも言えます。しかし、これがこの先どうなるのか、子孫たちはこれを維持していけるのか、少し考えればこのままの生活が如何に徳の貯金を使い果たしているかが分かります。
天の貯金といえば、石油などの鉱物資源もそうです。地球の数十億年の歴史の中で蓄えられた地中深く累積した微生物の死骸の化石が、あっという間に使い果たされて枯渇しています。これでは次代は鉱物資源が使えずに、苦しい現実を迫られます。もしも持続可能な燃料にシフトして、大切に使っていけば次代へそのまま譲れますがそもそも自分の世代や自分のことしか考えないとなくなってしまうのは自明の理です。
本来、徳というものは思いやりや真心で損得抜きに行うものです。そういう行いの一つ一つが天にある徳の貯金を殖やしていきます。そうやって殖やした貯金を使って私たちは今の生活をするのだから、もっとも大切なのはその貯金を減らないようにすることと殖やしていくことを考えなければなりません。
どんな生活を送ることが徳の貯金を積むことなのか、どんな生き方をすることが徳の貯金を減らさないことか、そういうことを学び直す必要があるように思います。先祖たちが偉大だったからこそ、私たち日本は今のような裕福さを得ることができました。その先祖の遺徳を偲び、先人の偉業に感謝していくなかにこそ、その徳を継承するヒントがあるように私は思います。
引き続き、先祖たちの生き方から徳を見出し、徳の貯金を子孫へ譲っていけるように温故知新した様々な生き方の実践を伝承していきたいと思います。
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内省シートに「今をあるがままに感謝すること」という項目があります。毎週読み返してきた項目ですが、今日はじめてここに徳のことが表れていることを感じました。今という時は、これまで紡いできた時が今になるのだと感じます。
青の洞門の禅海和尚のようにはなれなくても、少しでも徳を積んでいくような生き方を目指していきたいと思います。
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幸田露伴が説く「惜福、分福、植福(三福)」は「福の使い方」を教えています。「福」を大事にし「自分だけのために使い果たさないこと」と「今だけのために使い果たさないこと」は、「福に対する基本姿勢」でしょう。また、特に「植福」という考え方は、未来への投資であると同時に、「後の人のために福を植えて徳を積むこと」です。先人の植福のお陰で今があることに感謝し、未来のためにしっかり福を植えていきたいと思います。
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日々の些細な行動一つでも、繋がりが観えていれば徳を積む行いへと変えることが出来、反対に繋がりが観えていなければ容易に徳を潰す行いにもなりうることを感じます。知らずのうちにお世話になっている、お蔭様で生きられていることを忘れない生き方を大切にしていきたいと思います。
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一円対話も、普段の働きも、動機の元が何から来ているのかを思う時、無私の状態や大義の為に身体が動いていると、自分が活かされている感覚を覚えます。しかし、それが次第に自分の為にと意識がすげ変わるところが怖いと感じます。意識の振れ幅をなくす事は難しいですが、実践から振り返る環境や、日々の内省がやはり自分を守ってくれている事を実感します。