自然界というものは、常に万物流転しているものです。ありとあらゆるものに容を易えながら消えては現れ、そして顕れては消えていきます。しかしその本体は普遍的なもので存在しています。それは種が育ち花を咲かせ実をつけそしてまた種になるのと同じです。
自然の中においては土があり、木があり、そして鉄があり、火や水があります。私たちは鐵を中心に周りを水で包まれた惑星に住んでいます。私たちがもっとも師とする生き方は水であり、水と一体になって存在するこの地球は水の生き方から離れることはできません。
老子に「上善水如」があります。
「上善は水のごとし。水は善く万物を利して争わず、衆人の悪む所に処る。故に道に幾し、居るは善く地、心は善く淵、与うるは善く仁、言は善く信、正すは善く治、事は善く能、動くは善く時。それただ争わず、故に尤なし。」
意訳ですが、この世に在る至上の善を司るのは水である。水はこの世にある一切のものの役に立ちそして何ものとも争わず常に人々が嫌がるような低いところに存在している。その水の生き方はまるで道のように謙虚である。よく水が居るところは大地を潤し、その心淵は深く澄み渡っている、思いやりを与え続け、嘘もなくそこには信頼がある、私心なく治め、事は能力を活かし、動く時を知る。どんな時においても何ものとも争うことがない、そして決して誤る事がない。と。
水とはもっとも身近にあって空気のように気づかない存在ですがその持つ「徳」は、自然界では最も至大至高の存在なのです。先祖たちは常に水から学び直し、その謙虚で素直な姿に自らの心を祓い清めて真心を発揮していたように思います。
水の徳性として、「恩恵」「不争」「淡泊」「秘力」があるといいます。それは日頃から万物に利益を与え、常に謙虚でしかも柔軟であり、執着が無くさわやかに振舞い、時には大暴れの実力を秘めているということです。
さらに氷から水蒸気、霧や雨、空気にいたるまであらゆるものに寄り添って変化を已みません。万物流転し循環を促し見守る存在こそ水なのです。
この時期は田植えがはじまり今日も水に学ぶ一日になります。日々、学び直しを繰り返し傲慢になっている自分を省みて穢れを水に流し、新たな気持ちで再生していきたいと思います。
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如水と聞き思い浮かぶのは、昨年まで放送されていた大河ドラマの黒田官兵衛です。後年、如水と名を改め活躍していましたが生き方にさえ影響するのだと感じます。受け身ではなく、受け入れる力強さに神秘的なものを感じます。近くを流れる神田川も夜になると川の音が響きわたります。日中はなかなか気づきませんが、日々流れ変わっていることを忘れず今という時を大事にしていきたいと思います。
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「水」は、器に合わせてその形を変えてもこだわりません。また、温度によって氷、水、お湯、水蒸気、雲と変化してもこだわりません。流れもするし、溜まることにもこだわりません。一滴の水滴にもなるし大海原にもなります。ものを溶かし入れ、そのまま濁りもします。重石にもなれば、鉄の船を浮かべる力もあります。波になると破壊力も持つし、透明ですが鏡になって世界を映し出すこともします。こだわらなくても自分を見失わず、その力を発揮する姿に学びたいと思います。
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自然の中にいても、自然の恩恵を感じるかどうかは「得」の観点はたくさんあっても、「徳」を感じられるのは難しいです。自分にとって都合がどうなのかを考えていると「得」ばかりが見えてきます。そもそもの水がどんなものなのか、どうやって何のために存在しているのか、水の都合を意識して過ごしていきたいと思います。
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旅先で雨が降れば何となく嫌な気持ちになりがちですが、それにもまた意味があるのだという観方の方をむしろ大事にしていきたいと思います。晴れていると思えば突然霰が降り、今日はしとしと雨に雷が鳴っている、まったく自分都合にはならないその変化から学んでいきたいと思います。