弱さとは何か

昔の人たちは様々な暮らしの中に「弱さ」を大切にして生きてきました。弱さというのはどこか今の時代、よくないことのように言われますが本来は弱さというのは感謝の心の現れだったのではないかと私は思います。弱さが分かるからこそものを大切にする、弱さを大切にしているからこそいのちも大切にするように思うのです。

本来の弱さとは何か、少し深めてみたいと思います。

そもそも弱さというのは、壊れやすく脆いものです。産まれたての赤ちゃんや子どもはとても弱く柔らかくできています。しかしその産まれたてのものに触れるとき、私たちの心は弱さの中にあるいのちの有難さを感じます。それは感謝の心が先にあるからこそ弱いことが分かり、弱いことが分かるからこそ感謝の心が育つのです。

強さというのは、頑強で屈強、壊れないから大事に扱うことがありません。多少、激しく扱ってもそれは壊れませんから扱い方も雑になります。雑になればなるほど強いものの方が便利で価値があると信じ込みますがそこにいのちへの感謝の心は育つかといえばあまり育たないと思うのです。

人間にとって強いものとは、人間にとって都合のよい強さのことです。自分中心、身勝手に強がることも強さだと思い込みます。しかし弱いからこそ助け合う心が芽生え、弱いからこそ互生して生きていこうとするのです。そこには、弱さの中にある相手への思いやりや感謝の心があります。

強くないことを否定してもっと強くならなければと頑張ることで、余計に頑固に凝り固まって強がっていきます。これはいのちを大切にすることとは異なり、弱さの否定です。

本来の弱さとは、自分を認めることであり、周りを思いやることです。そしてその弱さはすべてにおいて感謝しているからこそ弱いものを大切にしていくことで感謝の心を忘れまいと昔の人たちは壊れやすいものや破れやすいものを身近において自らを修養していたように思います。

古き日本の家屋に住めば、弱いからこそ大切に扱い手入れし、弱いからこそ感謝の心をもって接し大事に触れていきます。そういう一つ一つの暮らしを通して「ものを粗末にしない」「もったいないことを知る」という生き方をしていたように思います。

何でも弱く壊れたものを役立たずとして捨てる時代、強くなれば価値があると信じ込まされている時代、本来の強さこそ弱さを知る心であり、弱さを認めるからこそ人は優しくなり強くなっていくのです。

いのちは常に弱さを通して感謝を学びます、そして弱さを扱うことができてはじめていのちのもったいなさを磨けます。あの自然界の生き物たちのように互生関係や思いやりから弱さを大事にする生き方を学び直していきたいと思います。

  1. コメント

    落ち込んでいる時に掛けてもらった一言に何度も救われたことがあります。その度に、改めて見守られている心強さを感じ、弱さゆえに周囲の力を引き出しているようにさえ感じます。誰にも頼らずそのことにさえ気づけないことの方が悲しいですが、時折それを承知の上で拒みたくなるのはプライドです。自分の中にある裁く心、裁こうとする自分自身の弱さを自覚し、思いやりを大事に働いていきたいと思います。

  2. コメント

    「強がっている人がいちばん弱い」などと言いますが、「強がる」背景には、「弱くてはいけない」「弱音を吐くことは恥ずかしい」という価値観があるからでしょう。しかし、ほんとうに強い人は、「自分の弱さ」を知っています。その「弱さ」を受け入れ、隠さず、決して自分を飾ろうとしはません。「知らないから、教えてほしい」「できないから、助けてほしい」というほんとうの強さを持ちたいものです。

  3. コメント

    強さ弱さの価値観は、出来る出来ない刷り込みや正しくなければ刷り込みにも似ているように思います。複雑に絡み付いている中でそこから抜け出すにも、やはり「何のため、本当は何か」から考えることが大切になってくることを感じます。否定しない、それもいい、というところから今一度自分の価値観に気づいていきたいと思います。

  4. コメント

    柔軟であろうとする、どれも福と受け取る。そうしようとすると、不安な心が現れますが、それが自分の価値観やこだわりであり、そこにあえて挑めるか、価値観を入れ替えようと、刷新する勇気が強さの様に感じます。木々や草花のようにいつも与えられた機会や環境に合わせて自分を変えていける強さを周りから学んで行きたいと思います。

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